特殊清掃「あっしの足が……。」を更新いたしました。
あっしの足が……。
「人間の身体」と「死」と向き合う仕事
人間は、普段、自分の身体がいつか動かなくなることをあまり考えない。
朝起きれば手足は動く。腹が減れば飯を食べる。疲れれば眠る。
当たり前のように繰り返している日常の中で、自分自身が「生き物」であることを意識する瞬間は、そう多くない。
しかし、私は仕事柄、人が亡くなった後の姿と向き合うことがある。
特殊清掃。
世間では、まだまだ知られていない仕事かもしれない。
孤独死された方の部屋、事故や事件が起きた場所、長期間発見されなかった現場など、普通の掃除では対応できない場所を原状回復する仕事だ。
臭い、汚れ、害虫、残された生活用品……。
そこには、その人が生きていた時間の痕跡が残っている。
もちろん簡単な仕事ではない。
精神的にきつい場面もある。
だが、誰かがやらなければならない仕事でもある。
そんな仕事をしていると、人間という存在について考えさせられることが多い。
これは、ある事故現場での出来事だ。
ある日、中年男性が電車事故で亡くなった。
自殺ではなく、偶然起きた事故だった。
検死も終わり、遺体は自宅へ戻ってきていた。
しかし、事故による出血がひどく、部屋の清掃が必要になった。
遺族としても、故人が最後に戻ってきた場所が汚れたままというのは耐えられなかったのだろう。
特殊清掃の依頼が入った。
現場へ向かうと、部屋には故人が安置されていた。
私はこれまでにも遺体に関わる作業を経験していたので、取り乱すことはなかった。
もちろん、亡くなった方への敬意は忘れない。
どんな状態であっても、そこにあるのは「誰かの大切な人」だからだ。
作業を進めながら、ふと思った。
このまま汚れた部屋に安置しておくより、葬儀社が用意した棺へきちんと納めてあげた方がいいのではないか。
そこで、葬儀社の方が準備した棺へ移す手伝いをすることにした。
「よいしょ!」
声を出して身体を持ち上げる。
すると、思っていたより軽かった。
人間の身体というのは、生きている時には意外と重く感じるものだ。
しかし、命がなくなると、そこから何かが抜け落ちたように感じる。
身体を棺へ納め、作業を終えようとしたその時だった。
遺族の方が、小さな声で言った。
「あのぉ……足が……」
一瞬、意味が理解できなかった。
「足?」
嫌な予感がした。
慌てて故人が安置されていた場所を見る。
すると、そこには片脚が敷布団の上に残っていた。
頭の中が真っ白になった。
「え……?」
「片脚が取れていたのか?」
「そんな大事なこと、先に言ってくれよ……」
もちろん口には出さない。
そんな状況で冗談を言えるはずもない。
表情を変えず、平静を装った。
そして、残っていた片足をそっと持ち上げた。
さっきまで一緒に人生を歩いていた身体の一部。
それを丁寧に扱い、棺へ納めた。
無事に納め終わったあと、ふと我に返った。
「しまった……」
私は特殊清掃の仕事で、部屋をきれいにするために来ている。
それなのに、自分の作業によって、余計に部屋を汚してしまった。
もちろん事故によるものだ。
誰かを責めることではない。
しかし、あまりにも気まずかった。
格好がつかなかった。
遺族の前では何事もなかったように振る舞ったが、心の中では反省していた。
この仕事をしていると、普段なら目を背けるような現実を見ることになる。
その中で、ある時ふと思った。
「人間も、結局は動物なんだな」
ということだった。
もちろん、人間には心がある。
思い出がある。
家族がいる。
人生がある。
それは絶対に変わらない。
しかし、身体だけを見れば、人間もまた生き物の一種だ。
肉体は時間が経てば変化する。
皮膚も、筋肉も、骨も、命がなくなれば自然の一部へ戻っていく。
普段スーパーで見る肉。
牛肉、豚肉、鶏肉。
それらも元をたどれば、命だった。
人間の身体も、物質として見れば同じ生き物の身体だ。
そんな当たり前のことを、私は現場で強烈に感じた。
そして、自分でも驚いたことがある。
その日の夜、なぜか焼肉が食べたくなった。
「自分はおかしいのではないか?」
そう思った。
普通なら、そんな現場を経験した後に肉を食べたいとは思わないかもしれない。
しかし、私は違った。
もちろん、亡くなった方を軽く見ているわけではない。
命を粗末に考えているわけでもない。
むしろ逆だ。
死を間近で見るからこそ、生きている時間のありがたさを感じる。
食事ができること。
家族や友人と笑えること。
朝起きて仕事へ行けること。
それらは決して当たり前ではない。
だからこそ、私は食べ物としていただく命にも感謝するようになった。
この仕事をしていると、「よくそんな仕事ができるね」と言われることがある。
「怖くないの?」
「気持ち悪くならないの?」
そう聞かれることもある。
正直に言えば、最初から平気だったわけではない。
初めて見る現場では、動揺することもあった。
臭いに耐えられないこともあった。
目をそらしたくなる瞬間もあった。
でも、経験を重ねるうちに分かったことがある。
自分が向き合っているのは「死体」ではなく、「その人が生きていた証」なのだ。
部屋に残された家具。
写真。
衣類。
趣味の道具。
冷蔵庫の中身。
そこには、その人の日常が詰まっている。
亡くなった瞬間だけを見るのではなく、その人がどんな人生を送ってきたのかを想像する。
そうすると、不思議と作業への向き合い方も変わる。
ただ汚れを処理するのではない。
その人が最後に残した場所を、次の誰かが受け入れられる状態に戻す。
それが私たちの仕事だと思っている。
世の中には、華やかな仕事がたくさんある。
人から注目される仕事。
感謝の言葉を直接もらえる仕事。
しかし、特殊清掃という仕事は、表に出ることが少ない。
誰かに褒められることも少ない。
テレビや雑誌で取り上げられる時も、珍しい出来事として扱われることが多い。
でも、必要な仕事であることは間違いない。
誰かがやらなければ、残された家族は前へ進めない。
大家さんも困る。
次にその場所を使う人も困る。
見えないところで、社会を支えている仕事だと思っている。
だから私は、自分で自分を認めるしかない。
「よくやっている」
「簡単にできる仕事じゃない」
そう思わなければ続けられない時もある。
社会的な評価が高い仕事だけが価値のある仕事ではない。
誰にも知られなくても、誰かの役に立っている仕事はある。
私はその一つをしていると思っている。
あの日の「あのぉ……足が……」という言葉は、今でも忘れられない。
思い出すと、申し訳なさと恥ずかしさが入り混じる。
しかし同時に、あの経験があったからこそ、人間の身体や命について深く考えるようになった。
人はいつか必ず死ぬ。
それは誰にも避けられない。
だからこそ、生きている今をどう過ごすかが大切なのだと思う。
笑える時には笑う。
食べられる時には食べる。
大切な人には、大切だと伝える。
当たり前の日常こそ、一番ありがたいものなのかもしれない。
今日も私は、誰かが避けたいと思う場所へ向かう。
そこで残されたものと向き合う。
決して目立つ仕事ではない。
感謝されることも少ない。
それでも、自分なりの誇りを持っている。
特殊清掃員。
それが私の仕事だ。





