特殊清掃「ロンリーミッドナイト」を更新いたしました。
ロンリーミッドナイト
私の仕事は、365日24時間の電話受付と見積を行っている。
「24時間営業」と聞くと、何となくコンビニのようで便利そうに聞こえるが、実際にはなかなか大変である。
昼間なら電話が鳴るのは当たり前。
こちらも普通に仕事をしているので、それほど苦にはならない。
問題は夜だ。
夜中にも電話は鳴る。
しかも、ときどきではあるが、
「今すぐ来てもらえますか?」
という電話が入る。
「今すぐ」という言葉には、昼間とは違う重みがある。
こちらとしては、
「できれば明日の朝ではダメでしょうか?」
と心の中で言いたくなる。
もちろん、そんなことを言うわけにはいかない。
仕事なので行く。
行かなければならない。
そして、行く。
夜中の出動というのは、暗闇が怖いわけではない。
怖いのは、眠気である。
これが本当にツライ。
昼間から仕事をして、そのまま夜の出動。
さらに翌日も昼間から仕事。
そんな日が続くと、体が「そろそろ寝ませんか?」と猛烈に訴えてくる。
しかし、仕事は待ってくれない。
眠気と戦いながら車を運転していると、
「私は今、仕事をしているのか、それとも夢の続きを見ているのか?」
分からなくなることがある。
そんな日が続くと、仕事があることへの感謝よりも、
「今夜はゆっくり寝ていたい」
「電話、鳴らないでくれ!」
と願ってしまう。
人間というのは、勝手なものである。
仕事がなければ「仕事が欲しい」と思い、仕事が続けば「もう仕事はいらない」と思う。
実に都合のいい生き物だ。
そんな夜間出動の中でも、かなり印象に残っている仕事がある。
もうかなり前の話になるが、自殺された方の遺体処置業務で、夜中に出向いたことがあった。
遺体処置の仕事で夜中に出動すること自体、そう多いことではない。
だから電話を受けたとき、
「何か特別な事情でもあるのかな?」
「なぜ、こんな夜中に?」
と、少々不思議に思った。
夜中の仕事というだけで、昼間とは違う緊張感がある。
眠い。
眠いのだが、仕事内容が仕事内容だけに、眠いなどと言っている場合ではない。
私は眠気を引きずりながら現場へ向かった。
現場はアパートの二階。
首吊り自殺だった。
警察による検死はすでに終わっており、遺体は首を吊った部屋に安置されていた。
到着してみると、こちらが想像していたような「特別な状況」はなかった。
部屋には故人の両親が二人。
それ以外には誰もいない。
両親は遺体を前にして、神妙な面持ちで座っていた。
私は仕事なので、挨拶をして作業の準備に入ろうとした。
すると、私が来たことで安心したのか、両親の表情が少し緩んだ。
「ああ、これで任せられる」
そんな雰囲気だった。
そして次の瞬間。
二人は、さっさと部屋を出ていった。
「……えッ?」
私は一瞬、状況が理解できなかった。
てっきり、作業中もどちらかが立ち会うものだと思っていた。
ところが、二人とも退室。
そして、そのまま車に乗ってどこかへ行ってしまった。
あまりにも見事な退場だった。
私は、
「えっと……」
と、誰もいない部屋を見回した。
もちろん、返事はない。
そこにいるのは、故人と私だけ。
「……取り残されちゃいましたねェ」
思わず、いつもの独り言が出た。
仕事中、私はときどき独り言を言う。
別に寂しいからではない。
たぶん、独り言を言っている方が仕事がしやすいのだ。
しかし、このときばかりは本当に「取り残された」という感じがした。
遺体の顔を見ながら、しばらく呆然とした。
何をしているんだ、私は。
いや、仕事をしに来たのだから、仕事をすればいい。
頭では分かっている。
しかし、何となくやる気が出ない。
さっきまでいた両親が、故人を残して二人とも帰ってしまった。
その状況が、どうにも気になった。
もちろん、両親にも両親なりの事情があったのだろう。
人には、それぞれ抱えているものがある。
こちらには分からない事情だってある。
だから、勝手に「こうするべきだった」などとは言えない。
そう思いながらも、
「もうちょっと一緒にいてあげてもいいんじゃないのかな……」
という気持ちが、どこかにあった。
とはいえ、私が考えても仕方がない。
私は家族ではない。
遺族でもない。
ただ、仕事を依頼された人間である。
やるべきことをやる。
それしかない。
私は淡々と作業を始めた。
ところが、ここからが問題だった。
作業が終わった。
終わったのだが、両親が戻ってこない。
待てど暮らせど戻ってこない。
時計を見る。
まだ戻らない。
また時計を見る。
やっぱり戻らない。
私は遺体をそのままにして、鍵もかけずに帰るわけにはいかない。
仕方がない。
待つしかない。
最初は、遺体の前にきちんと正座をして待っていた。
仕事柄、こういうときは姿勢もそれなりに整えておいた方がいい。
「さて、待ちましょう」
という感じで正座。
しかし、しばらくすると足が痛くなってきた。
正座というのは、精神的には立派だが、肉体的にはなかなか厳しい。
私はあぐらをかいた。
少し楽になった。
しかし、夜中である。
疲れている。
眠い。
昼間から仕事をしていた体には、すでにかなりの疲労が蓄積している。
そのうち、あぐらも面倒になってきた。
手を畳について、だらしない姿勢になった。
そして、ついに睡魔が本格的に襲ってきた。
「眠い……」
目が閉じてくる。
頭がカクン。
「いかん!」
頭を上げる。
またカクン。
「いかん、いかん!」
それを何度も繰り返す。
睡魔というのは恐ろしい。
相手が誰であろうと関係ない。
どんな状況だろうと襲ってくる。
「遺体の横で寝るか?」
「いや、そりゃダメだろ!」
「ちょっとだけ寝ちゃおうかな?」
「いやいや、それもマズイだろ!」
頭の中で、一人会議が始まった。
しかも、議長も私。
書記も私。
出席者も私。
結論は毎回、
「寝てはいけない」
なのだが、睡魔側の発言力が強すぎる。
そして困ったことに、目の前の故人が気持ちよさそうに眠っているように見えてきた。
もちろん、実際にはそんなことはない。
頭では分かっている。
しかし、こちらが眠くて仕方がない状態になると、どうしてもそう見えてしまう。
「いいなぁ……」
などと思ってしまう。
こちらは眠気と戦っているのに、故人は静かに横になっている。
羨ましい。
いや、羨ましがってどうする。
そもそも、これは羨ましがるような状況ではない。
自分で自分にツッコミを入れる。
「しっかりしろ、俺」
そこで私は、睡魔を追い払うために、いろいろなことを始めた。
鼻歌を歌う。
小声で独り言を言う。
故人に話しかける。
「いやぁ、参りましたねェ」
もちろん返事はない。
「ご両親、まだ帰ってきませんねェ」
返事はない。
「眠いですねェ」
返事はない。
当たり前である。
それでも話しかける。
なぜなら、私の眠気を紛らわせるためだ。
考えてみれば、かなり妙な光景である。
夜中のアパートの一室。
そこには遺体と私。
そして、その部屋から一人の男の鼻歌と独り言が聞こえてくる。
近隣の住民からすれば、かなり不気味だったと思う。
「何か隣の部屋から歌声が聞こえる」
「いや、歌というより鼻歌?」
「男が一人で誰かと話している?」
「でも、あの部屋……」
もし私が近所の住民だったら、絶対に関わりたくない。
そう考えると、両親が気にしていた「世間体」は、ここで完全に逆効果になっている。
「夜中に作業すれば、人目につかない」
という考えだったのかもしれない。
しかし、その結果、
「夜中のアパートから男の鼻歌と一人語り」
である。
昼間なら、ただの作業員に見える。
夜中だから怪しい。
何とも皮肉な話である。
もっとも、これも私の勝手な想像だ。
両親がなぜ夜中を選んだのか、本当のところは分からない。
世間体だけが理由だったのかもしれないし、別の事情があったのかもしれない。
だから、そのことについては、それ以上考えないことにした。
人の事情というのは、外から見ただけでは分からない。
こちらが「こうだったんだろう」と勝手に決めつけるのは簡単だが、実際には本人にしか分からないことも多い。
ただ、私としては眠かった。
それだけは間違いない。
そして、ようやく空が少しずつ明るくなってきた。
夜が終わる。
朝が来る。
私はほとんどボケボケの状態だった。
朝陽が差し込んできた。
しかし、その朝陽がなぜか夕陽に見える。
「あれ? 朝だよな?」
自分でも少し不安になる。
長時間の睡魔との戦いで、時間の感覚までおかしくなっていた。
そんな頃になって、ようやく両親が戻ってきた。
そして開口一番、
「連絡をくれればよかったのに」
と言われた。
私は心の中で、
「いやいやいやいや!」
と思った。
連絡先も何も告げずに、二人で勝手に帰ったのはそちらでしょう。
私は一晩中ここにいた。
「どこへ行ったんですか?」
とも聞けない。
「いつ戻りますか?」
とも聞けない。
電話番号も知らない。
それなのに、
「連絡をくれればよかったのに」
である。
これはなかなか厳しい。
しかし、私は仕事人である。
心の中で反論するだけにして、口から出た言葉は、
「作業に時間がかかりましたので。たいした時間は待っていませんから……」
ニッコリ。
営業スマイルである。
人間、歳を重ねると、いろいろなことを飲み込めるようになる。
たぶん、胃薬の消費量も増える。
何はともあれ、無事に両親へ現場を引き継ぐことができた。
私はようやく、その場を離れることになった。
車に乗る。
エンジンをかける。
長かった夜が終わった。
そのとき、少し変な感覚があった。
一晩中、故人と二人きりだったからだろうか。
妙な親近感を覚えていた。
もちろん、故人とは生前に会ったことはない。
どんな人だったのかも知らない。
何があったのかも知らない。
だから、「分かり合えた」などというきれいな話ではない。
そんなことを言ったら、むしろ偽善的だと思う。
私はただ、夜中に仕事をしながら、その人と同じ部屋に長い時間いただけだ。
鼻歌を歌い、独り言を言い、眠気と戦いながら。
それだけである。
でも、そんな一晩を過ごしたせいなのか、車に乗り込む前、私は遺体に向かって、
「じゃあ、バイバ~イ」
と声を掛けた。
我ながら、妙な別れ方である。
普通なら、もっと神妙な言葉を選ぶのかもしれない。
しかし、そのときの私には、それが一番自然だった。
「さようなら」と言うほど大げさでもない。
「またね」と言うわけにもいかない。
だから、
「バイバ~イ」
だった。
もちろん、返事はない。
最後まで返事はなかった。
それでいい。
私たちは、その夜だけ同じ部屋にいた。
私は仕事をし、その人はそこにいた。
それだけの関係である。
それでも、人間というのは不思議なもので、ほんの一晩一緒にいるだけでも、妙な縁のようなものを感じることがある。
「袖擦り合うも他生の縁」という言葉がある。
袖が触れ合う程度のわずかな出会いにも、前世からの因縁があるという意味らしい。
だとすれば、あの夜の私は、ずいぶん濃い袖擦り合いをしてしまったことになる。
ただし、できれば次は、もっと明るい時間帯でお願いしたい。
できれば生きている者同士で。
できれば眠くない時間に。
そして、できれば帰るときには連絡先を教えてほしい。
……まぁ、それはさておき。
もし故人が生きていたら、どんな人だったのだろう。
意外と気が合ったかもしれない。
夜中に二人で鼻歌を歌いながら、
「いやぁ、眠いですねェ」
「本当ですねェ」
なんて言っていたかもしれない。
そんなことを考えながら、私は現場を後にした。
夜は静かだった。
そして、長かった。
ロンリーミッドナイト。
仕事としては、ただの一件の夜間出動。
でも、私にとっては、妙に記憶に残る一晩になった。
世間体とか、家族とか、仕事とか、眠気とか。
いろいろなものが混ざった、何とも言えない夜だった。
そして最後に残ったのは、
「……眠い」
という、ごく個人的で、どうしようもなく現実的な感想だった。
人間、どんなに重い出来事の前でも、眠いときは眠い。
そこだけは、どうしようもない。
だから私は、帰りの車の中で大きなあくびをしながら思った。
「今日は絶対、早く寝よう」
……もちろん、その日の夜に電話が鳴らなかった保証はない。





