特殊清掃「ロールケーキorサンドイッチ」を更新いたしました。
ロールケーキorサンドイッチ
腐乱死体が布団を汚していることは、珍しくない。
言い換えれば、布団に入ったまま亡くなる人が、それだけ多いということだ。
まあ、人間は生まれるときも布団の上、死ぬときも布団の上、ということがある。
人生の始まりと終わりが、同じような場所で重なる。
……などと書くと、なんだか妙に文学的だが、現場にいる人間からすると、そんな悠長な話ではない。
腐敗液をたっぷり吸った布団は、見た目も臭いも、とにかくヒドイ。
しかも重い。
ものすごく重い。
水を吸った布団でも相当重いのだから、それにいろいろなものが加わった布団となると、もはや「寝具」という言葉では済まされない。
依頼者からすると、一刻も早く視界から消したい。
だから、ほとんどの依頼者が言う。
「布団だけでも先に持って行ってくれ!」
気持ちはよく分かる。
私だって、自分の家にそんな布団があったら、早く持って行ってほしい。
いや、「早く」どころか、「今すぐ」持って行ってほしい。
できれば私が寝ている間に、誰かがそっと持って行ってくれれば一番ありがたい。
……まあ、それでは仕事にならない。
できる限り依頼者の要望には応えるようにしている。
ただし、見積と作業は別物だ。
作業を小刻みに分ければ分けるほど、効率は悪くなる。
当然、コストも上がる。
何より、汚物処理作業は一発で済ませたい。
一度現場を離れて、また戻ってきて、もう一度防護服を着て、もう一度臭いを嗅いで、もう一度気合いを入れる。
そんなことを喜んでする人間は、たぶんこの世にそれほど多くない。
少なくとも私は、そこまで仕事熱心ではない。
ところが、困りきった様子で、
「どうしても布団だけでも……」
と頼まれると、無視するわけにもいかない。
昔は、そういう現場では仕方なく作業していた。
依頼者には悪いが、嫌々やっていた。
「はいはい、分かりました。やりますよ」
内心はそんな感じだったと思う。
もちろん顔には出さない。
……たぶん。
こういう仕事は、依頼者にとって人生で何度も経験するものではない。
というより、できれば一度も経験したくないものだ。
こちらは仕事として何度も経験する。
その違いは大きい。
だから、依頼者にとっての「どうにかしてほしい」は、こちらにとっての「作業効率」と同じ土俵にはない。
そんなことを考えながら、私は布団と格闘してきた。
普通の布団と汚腐団は、似て非なるもの。
普通の布団をたたむのは、誰でもできる。
三つ折りにするなり、丸めるなりすればいい。
ところが、汚腐団(お布団)は、そういうわけにはいかない。
なにしろ、中に入っているものが普通ではない。
「今日は布団をたたみます」
と言えば、普通は穏やかな日常風景だ。
ところが私の場合、
「今日は汚腐団をたたみます」
となる。
漢字を変えただけで、一気に人生の難易度が上がる。
汚腐団は、できるだけ小さくたたんで専用袋に入れる。
文章にすると、たったそれだけの作業だ。
しかし、ちょっと油断すると、腐敗液が身体に着く。
これが困る。
しかも、普通の液体のように「はい、こぼれました」で終わらない。
臭いがつく。
気持ちも落ちる。
作業着を見て、
「ここ、付いてないよな?」
と何度も確認する。
そして、確認すればするほど疑心暗鬼になる。
「いや、今のは気のせいだ」
「……いや、やっぱり臭う」
「これは自分の鼻がおかしいのか?」
最終的には、自分自身が信用できなくなる。
以前は、腐敗液が身体に着かないように、作業手順をよーく練ったうえで、慎重に慎重を重ねていた。
まさに、汚いモノにでも触るかのように。
……実際、汚いモノなのだから仕方がない。
しかし、それでもなかなかうまくいかなかった。
身体を汚してしまったことも何度もある。
そのたびに、
「もっと慎重にやらなければ」
と反省する。
そして次の現場では、さらに慎重になる。
ところが、慎重になればなるほど身体が固くなる。
腰が引ける。
腕が縮こまる。
動きが不自然になる。
つまり、逃げ腰・及び腰になっていた。
今になって考えると、それが逆効果だった。
汚れたくない人間ほど、汚れる。
何度もやっているうちに、一つの失敗が一つのノウハウになることを覚えた。
「あのやり方をすると、ここから漏れる」
「ここを持つと危ない」
「この向きでたたむと、最後に大変なことになる」
失敗には、ちゃんと理由がある。
失敗したということは、少なくとも「その方法ではダメだった」という貴重な情報が手に入ったということだ。
そう考えるようになってから、少しずつ気持ちが変わった。
「どうせ汚れるんだったら、失敗例を蓄積しよう」
そう考えた。
すると不思議なことに、汚いモノが着かないように必死になっていた頃より、汚いモノを気にしなくなってからのほうが、圧倒的に汚れなくなった。
これは別に、
「汚物を恐れるな!」
という精神論ではない。
むしろ逆だ。
汚物を恐れるから、身体が固くなる。
身体が固くなるから、動きが悪くなる。
動きが悪くなるから、余計なところに触れる。
余計なところに触れるから、汚れる。
要するに、ビビりすぎて自分から事故を呼び込んでいたわけだ。
これは人生にも通じる。
……と、ここで人生訓に持っていくと、急に偉そうになるので、この話は一旦やめておこう。
私は人生の達人ではない。
ただ、汚腐団のたたみ方については、そこそこ経験がある。
それだけだ。
重さには二種類ある。
腐敗液をたっぷり吸った布団は重い。
本当に重い。
持つとズシリとくる。
物理的な重さだけではない。
精神的にも重い。
これがなかなか厄介だ。
たとえば、普通の布団なら、
「よいしょ」
と持ち上げれば済む。
ところが汚腐団の場合、
「よいしょ……」
の前に、一瞬だけ心の準備が必要になる。
そして持ち上げた瞬間、
「重っ!」
となる。
もちろん口に出すこともある。
誰に聞かせるでもなく、自然に出る。
人間、限界を超えた重さを持つと、語彙が減る。
「重い」
「臭い」
「暑い」
だいたいこの三つである。
文学性のかけらもない。
しかし、現場ではそれで十分だ。
昔は、梱包した布団でさえ汚く思えて、身体につかないように持っていた。
できるだけ身体から離す。
腕を伸ばす。
腰を曲げる。
変な姿勢になる。
今考えると、ずいぶん不自然な格好で運んでいたと思う。
たぶん第三者から見たら、
「何か危険なものを運んでいる人」
にしか見えなかっただろう。
まあ、実際に危険なものを運んでいるのだから、それで正解なのかもしれない。
ところが今は、抱えることにも、背負うことにも、それほど抵抗感がない。
もちろん、好きでやっているわけではない。
そこは誤解してほしくない。
好きなわけではない。
慣れただけだ。
そして、慣れるというのは、ある意味で恐ろしい。
以前なら「絶対に無理」と思っていたことが、いつの間にか「まあ、やるか」になる。
人間というのは、ずいぶん適応力がある。
いや、単に鈍感になっただけかもしれない。
背負うと、遺体そのものを背負っているような錯覚になる。
汚腐団を背負うと、遺体そのものを背負っているような錯覚に陥ることがある。
もちろん、布団と遺体は別物だ。
頭では分かっている。
それでも、重さや形、臭い、そしてそこに残っているものを考えると、妙な感覚になる。
この布団の上には、少し前まで一人の人間が寝ていた。
普通に眠っていた。
その人にとっては、いつもの布団だった。
毎晩使っていたかもしれない。
その布団に身体を預け、テレビを見たり、本を読んだり、スマホを触ったり、酒を飲んだり、明日のことを考えたりしていたかもしれない。
そして、ある日、その人はいなくなった。
残ったのは布団だけ。
そう考えると、単なる「汚れた寝具」ではなくなる。
だからといって、私がそこに崇高な何かを感じているわけではない。
そんなに立派な人間ではない。
臭いものは臭い。
重いものは重い。
できれば早く終わらせたい。
それが本音だ。
ただ、その一方で、長くこの仕事をやっていると、汚物と人間の間を、自分の感覚が行ったり来たりするようになってきた。
大袈裟に言えば、汚物に親近感みたいなものを覚えることすらある。
「お前も大変だったな」
などと、心の中で布団に話しかけている自分に気づく。
……我ながら、だいぶ危ない。
でも、そういう感覚も含めて、この仕事を長くやってきた結果なのだと思う。
単に歳をとっただけなのか。
それとも、人間として少し成長したのか。
そこは自分では判断できない。
たぶん、両方だろう。
ところで、今回の表題。
「ロールケーキorサンドイッチ」
これは、汚腐団のたたみ方のコツである。
もちろん食べ物の話ではない。
こんな話をここまで読んでおいて、
「なんだ、スイーツの話じゃないのか」
と思った人がいたら申し訳ない。
私だって、できればロールケーキの話だけを書いていたい。
イチゴが入っているとか、生クリームが多いとか、コンビニの新商品がどうだとか。
そのほうが平和だ。
しかし、残念ながら今回は汚腐団の話である。
汚腐団をたたむとき、中に入っている「具」はいろいろある。
何が入っているのかは、読者の想像にお任せする。
そして、その具をどう処理しながら、できるだけ小さくまとめて袋に収めるか。
そこには、それなりのコツがある。
丸めるのか。
折るのか。
挟むのか。
順番を間違えると、あとで苦労する。
そういう意味では、確かにロールケーキとサンドイッチに似ている。
ただし、私が作っているロールケーキは、絶対に食べないでほしい。
サンドイッチも同様である。
念のため言っておく。
近道をすると、遠回りになる。
仕事でも人生でも、楽をしようとして近道を行くと、かえって遠回りになってしまうことがある。
身の丈を考えずに階段を飛び越えようとすると、踏み外して転げ落ちる。
私も若い頃は、なるべく失敗しないようにしたかった。
効率よくやりたかった。
汚れたくなかった。
早く終わらせたかった。
当たり前だ。
誰だってそうだと思う。
しかし、失敗を避け続けていると、失敗したときに弱い。
一方で、失敗して、考えて、またやって、少し改善して……を繰り返していると、いつの間にか「失敗しない方法」が身体に染みついてくる。
知識として覚えたというより、身体が覚えている。
「ここは危ない」
「ここを持つ」
「ここは最後」
そういうものは、教科書には書いていない。
現場でしか身につかない。
何事も、小さな積み重ねが大事。
続けることが大事。
そして、知恵を持つことが大事。
こんな仕事にも、ちゃんと独自のノウハウがある。
そのノウハウを得るには、経験が必要だ。
継続も必要だ。
そして、失敗を蓄積することも必要だ。
私には、誰にも真似できない――いや、誰にも真似したくないと思われるような――それがある。
別に自慢するようなことではない。
履歴書に、
「特技:汚腐団を上手にたためます」
と書いても、採用担当者がどう反応するのか分からない。
むしろ書かないほうがいい。
でも、私にとっては、それも積み重ねてきた仕事の一部だ。
死体業をコツコツやってきたことが、ホコリのような私の誇り……かな。
「ホコリ」と「誇り」。
漢字は違うが、読み方は同じ。
しかも、この仕事では本当にホコリもたくさん出る。
最後まで汚い話で申し訳ない。
今回は、とりとめもない文章になってしまった。
夏バテ気味なのかもしれない。
あるいは、長年いろいろなものを背負ってきたせいで、頭の中まで少し重くなっているのかもしれない。
でも、仕事というのは、案外そういうものなのだと思う。
華やかな成果ばかりではない。
誰にも見られない失敗があって、その失敗から小さなコツを覚える。
昨日できなかったことが、今日は少しだけできる。
今日できなかったことが、何年か後には当たり前になっている。
その繰り返しだ。
そして、いつの間にか、
「昔はあんなに嫌だったのに、今は普通にできる」
という仕事が増えている。
それを成長と呼んでいいのかは分からない。
ただ、少なくとも私は、昔より汚腐団を上手にたためるようになった。
これは事実である。
人生には、いろいろな技術がある。
人付き合いが上手な人。
料理が上手な人。
文章が上手な人。
商売が上手な人。
そして、汚腐団を上手にたためる人。
どれが偉いという話ではない。
その人が長い時間をかけて身につけたものには、その人にしか分からない重みがある。
私の場合、その重みがちょっと重すぎるだけだ。
腐敗液を吸った布団は重い。
でも、長年の経験で身につけたノウハウも、それなりに重い。
できれば前者は背負いたくない。
後者なら、もう少し背負っていてもいい。
そんなことを考えながら、今日も私は布団をたたむ。
ロールケーキのように。
あるいは、サンドイッチのように。
中に何が入っているかは、読者の想像にお任せする。
ただ一つだけ言えることがある。
どちらにしても、絶対に食べないで!





