特殊清掃「探し物」を更新いたしました。
探し物
特掃現場では、何らかの「探し物」を依頼されることが多い。
私は片付屋・始末屋であって、探し屋ではない。
……と、いつも思っている。
しかし、「他に頼める人がいない」という事情がある。
そうなると、なぜか私のところへ話が回ってくる。
「○○を探してもらえませんか?」
電話でそう言われるたびに、
「いや、私は探偵じゃないんですけど……」
と思う。
思うだけで、だいたい引き受ける。
断ればいいのに、断れない。
我ながら、この性格は商売人としてどうなんだろうと思う。
もっとも、腐乱死体現場での探し物を「自分で探せばいいじゃないか」と考えるのは、その現場を知らない第三者だから言えることである。
故人の身内であっても、一般の人には腐乱現場で探し物など、とてもできない。
まず、視覚がやられる。
そして嗅覚がやられる。
いや、嗅覚だけならまだいい。
「臭い」という言葉では、とても表現しきれない臭気がある。
人間の脳は、腐敗臭を「これはちょっと臭いですね」と冷静に処理するようにはできていないらしい。
現場に入った瞬間、
「ここに長居してはいけません」
と、本能が全力で警報を鳴らす。
数分どころか、数十秒でギブアップする人も珍しくない。
だから、遺族が現場に入れないのは、別に根性がないからではない。
入れないものは、入れないのである。
依頼品として多いのは、預金通帳、印鑑、権利書、株券、保険証券、年金手帳、貴金属など。
やはり金目のモノが多い。
当然である。
故人が亡くなったからといって、残された人まで一緒に生活を止めるわけにはいかない。
悲しんでいる暇もない。
死亡届、葬儀、相続、家の処分、公共料金、保険、銀行……。
人が一人亡くなると、その後始末には驚くほどたくさんの仕事が発生する。
そして、それらを片付けるには、何より先に「お金」が必要になる。
「故人の死を悼むこと」と「現実的な後始末」は、別の話なのだ。
特に腐乱現場や自殺現場の始末となると、残された人間には精神的にも経済的にも、かなり重い負担がのしかかる。
だから私は、金目のモノを探してほしいと言われても、あまり驚かない。
それもまた、残された人が生きていくための仕事だからである。
ただ、ときどき変わった探し物を頼まれることがある。
その中でも、今でも忘れられないのが「遺骨」だった。
ある日、中年女性から電話が入った。
「骨を探してほしいんです」
一瞬、意味が分からなかった。
骨?
現場は孤独死。
亡くなったのは、その女性の母親らしい。
警察が遺体を搬出した後、現場に小さな骨が残っていることがある。
それ自体は、特掃をやっていれば珍しい話ではない。
ただ、電話をしてきた女性が、
「骨が残っている可能性がある」
ことを知っていたのが不思議だった。
話を聞くと、警察からそう説明されたらしい。
女性は、
「現場には行けないので、勝手に入って探してください」
と言う。
私は電話を握ったまま、しばらく考えた。
こういう仕事は、電話で想像しているとロクなことにならない。
とりあえず現場を見る。
それしかない。
現場に到着。
場所はトイレだった。
ドアを開ける。
……こりゃヒドイ。
思わず、いつもの独り言が出た。
「こりゃヒドイなぁ……」
床一面に腐敗粘土と腐敗液が広がっている。
しかも、かなり厚い。
乾燥しかかった腐敗粘土は便器の中にまでたまっていた。
死後、かなりの日数が経っていることが見て取れる。
私はしばらく現場を眺めた。
「これで骨が探せるかなぁ……」
「ヤバイ作業になりそうだなぁ……」
さっきまでの、
「まあ、骨くらいなら何とかなるだろう」
という気持ちは、現場を見た瞬間にどこかへ消えた。
汚物の量を前にすると、人間は意外と簡単に自信を失う。
私だけかもしれない。
一度現場を確認してから、女性に電話した。
トラブルを避けるため、最初に言っておかなければならないことがある。
「骨が見つかるとは約束できません」
当然である。
見つかる保証などできない。
それと、
「かなり過酷な作業になると思います」
とも伝えた。
女性は、それでもお願いしますと言った。
私は受話器を置いた。
正直に言えば、やりたくなかった。
できれば、
「申し訳ありません。今回は無理です」
と言って電話を切りたかった。
しかし、話をしているうちに、少しずつ気持ちが変わっていった。
女性の声が、なんとも言えない感じだった。
泣いている。
私は女性に泣かれると弱い。
これは昔からである。
結局、引き受けることにした。
作業は、覚悟していた通り過酷だった。
腐敗粘土をすくっては、ほぐす。
ほぐして中を探る。
何もなければ、またすくう。
そしてまたほぐす。
ひたすら、その繰り返し。
腐敗粘土には、軟らかいものもあれば、乾燥して硬くなったものもある。
それらを一切合切すくって、手で解していく。
例えるなら……。
ビーフシチュー。
いや、ビーフシチューに失礼だな。
見た目だけで言えば「ものすごく煮込んだビーフシチュー」なのだが、もちろん食べられない。
食べられないどころか、絶対に食べてはいけない。
そもそも、ビーフすら入っていない。
何を言っているのか自分でもよく分からなくなってくる。
過酷な現場では、こういうくだらない思考が必要なのである。
まともなことばかり考えていたら、精神が持たない。
作業は手作業だった。
小さな骨を探すのに、道具は使えない。
頼りになるのは、自分の目と手の感覚。
腐敗粘土を少しずつほぐしていく。
指先で異物を感じるたびに、
「おっ」
と思う。
しかし、骨ではない。
何度も期待を裏切られる。
ウジなど、何度骨に見えたことか。
白っぽいものが見える。
「骨か?」
近づいて見る。
ウジ。
「……お前かよ」
何度もやられる。
ウジには、これまでも散々やられてきた。
今回もやっぱり、やられっぱなしだった。
もちろん便器の中にも手を突っ込んだ。
「ウ○コと腐敗粘土、どっちがマシかなぁ」
そんなことを真剣に考えている自分が、だんだんおかしくなってくる。
普通の生活をしていたら、こんな比較をすることは一生ないだろう。
人生とは、何が起きるか分からない。
そんな私の手は、当然ながら大変なことになっていた。
もちろん手袋はしている。
それでも、見た目はひどい。
例えるなら、糠床を思い切り混ぜた後の手。
ただし、糠床のような「おいしいものを作っている」という目的はない。
私は自分の手を眺めながら、
「俺って、よくこんなことできるよなぁ……」
と思った。
自分に呆れるような。
自分が惨めなような。
いや、ちょっと自分を褒めてやりたいような。
何とも言えない気分だった。
特掃の仕事というのは、たいてい「汚い」「臭い」「きつい」の三拍子が揃っている。
しかし、今回の仕事には、それとは別のプレッシャーがあった。
最初から「骨を探す」ことが目的だったからだ。
普段の特掃作業でも、作業中に骨が見つかることはある。
その場合、
「骨が出てきた」
という結果である。
しかし今回は、
「骨を見つけなければならない」
のである。
この違いは大きかった。
汚物が少なくなってくる。
それなのに、骨らしきものは出てこない。
だんだん焦ってくる。
「見逃しているんじゃないか?」
「本当にないのか?」
「どこかに残っているんじゃないか?」
そんなことを考えながら、ひたすら探す。
しかし、出てこない。
残りの汚物だけが、どんどん少なくなっていく。
焦りからか、ウジが何度も骨に見える。
「またかよ……」
何度、心の中でそう呟いたか分からない。
途中から、私は毛髪を取り避けるようになった。
現場には毛髪がたくさんあった。
「もし骨が出てこなかったら……」
ふと思った。
「せめて、これだけでも持って帰ってもらえないだろうか」
もちろん、それが遺骨の代わりになるなんて思っていない。
ただ、何もないよりは……。
そんな気持ちだった。
結局、最後まで骨は出てこなかった。
見逃した可能性も、完全には否定できない。
それでも、
「やれるだけのことはやった」
と思うしかなかった。
私は集めた毛髪を持ち帰り、洗剤で丁寧に洗った。
これがまた大変だった。
脂の悪臭がなかなか落ちない。
洗っても臭う。
もう一度洗う。
まだ臭う。
また洗う。
しまいには、
「俺は何をやっているんだ?」
という気分になってくる。
しかし、ここまで来たら意地だった。
できるだけきれいにして、白い綿に包んだ。
その後、女性に電話した。
最初に、
「骨は見つかりませんでした」
と伝えた。
女性は落胆していた。
当然だと思う。
私は申し訳ない気持ちになった。
でも、同時に、
「仕事の成果は約束していないから……」
と、心の中で言い訳もしていた。
人間というのは、こういうとき都合よく自分を守る。
私も例外ではない。
正直、この仕事はこれで終わりにしたかった。
しかし電話で話しているうちに、
「他に何か役に立てそうなことがあれば言ってください」
などと言っていた。
……まただ。
私は女性に泣かれると弱い。
何度でも言う。
数日後、女性と現場で待ち合わせた。
そこで初めて知った。
女性は、この家に来るのが初めてだった。
亡くなった母親の家なのに。
理由は、母親と女性が長い間、疎遠だったからだった。
女性にとって、この家は「実家」ではあっても、簡単に入れる場所ではなかった。
いろいろな事情があったのだと思う。
私は詳しく聞かなかった。
聞いてはいけないこともある。
女性には、それなりの過去があった。
親の言うことにも耳を貸さず、若い頃には放蕩の限りを尽くしたらしい。
ここでは詳しく書けないが、その人の身体に残った特徴からも、若い頃の生き方を想像させられる部分があった。
家族にも、相当迷惑をかけたのだろう。
親族からも「やっかい者」のように扱われ、長い間、身内から離されていた。
完全に孤立していた。
母親が亡くなっても、葬式に参列させてもらえなかったという。
そういう話を聞いてから見ると、女性の「骨を探してほしい」という依頼の意味が、少し違って見えてきた。
女性が本当に欲しかったのは、骨そのものではなかったのではないか。
母親に謝りたかった。
親孝行をしたかった。
もう一度だけ、母親との関係を何とかしたかった。
でも、そのチャンスがなかった。
だから最後に残された「骨」を探していた。
私は、そんなふうに思った。
もちろん、本当のところは本人にしか分からない。
私は他人だ。
勝手に人の人生を決めつける資格なんてない。
それでも、私は例によって勝手な自論を展開してしまった。
「お母さんは、○○さんのことを、とっくに赦してくれていると思いますよ」
女性は黙って聞いている。
「だから、腐乱してまでも○○さんが来るのを待っていてくれたんじゃないですか?」
「お母さんが腐ってくれたお陰で、他の親族に見つからずに○○さんが来ることができたわけですよね」
今思えば、かなり乱暴な言葉だったと思う。
「きっとお母さんは、○○さんに重荷を降ろすチャンスをくれたんですよ」
「○○さんの将来を大事に思ってね」
自分で言いながら、
「これ、アドバイスなのか暴言なのか、どっちなんだ?」
と思った。
人様の親子関係に、外野が勝手なことを言っている。
一歩間違えれば、かなり失礼な話である。
それでも女性は、泣きながら頷いていた。
私は、それ以上何も言わなかった。
しばらく二人で黙っていた。
そして私は、白い綿に包んだ毛髪を女性に渡した。
女性はそれを両手で握りしめた。
そして、
「お母さん……」
と呟いた。
「お母さん……」
その声を聞いていると、こちらまで何とも言えない気持ちになった。
私は骨を見つけられなかった。
仕事としては、成功とは言えない。
けれど、女性にとっては、あの日、母親の家に来て、母親の痕跡を手にすること自体に意味があったのかもしれない。
もちろん、それも私の勝手な解釈である。
本人がどう感じたのか、本当のところは分からない。
私は特掃屋であって、カウンセラーでも、宗教家でも、人生相談員でもない。
だから、立派なことを言うつもりはない。
ただ、こういう現場にいると、ときどき考えさせられることがある。
人は、生きている間には、いろいろなことをする。
親に迷惑をかける。
子供に迷惑をかける。
兄弟と喧嘩する。
意地を張る。
謝れないまま時間が過ぎる。
「そのうち何とかなる」
と思っているうちに、何ともならなくなる。
そして、最後に残る。
「もっと話しておけばよかった」
「一度くらい謝っておけばよかった」
「もう少し優しくしておけばよかった」
そんな後悔ばかりが残る。
「親孝行、したい時に親はなし」
昔の人は、実にうまいことを言ったものだ。
「親の心、子知らず」
これもそうだ。
親が何を考えていたのか。
子供には分からない。
そして子供が何を考えていたのか。
親にも分からない。
生きているうちには、分からないことだらけである。
だからといって、
「親孝行しなさい」
などと説教するつもりもない。
親子にも、それぞれ事情がある。
簡単に仲直りできる家庭ばかりではない。
離れたほうがいい親子だっている。
世の中には、外から見ただけでは分からない事情がいくらでもある。
ただ、もしまだ間に合うのなら。
電話一本でもいい。
一緒に飯を食うだけでもいい。
「元気か?」
の一言だけでもいい。
できることを、できるうちにやっておいたほうがいい。
何しろ、死んでからでは電話もできない。
……まあ、当たり前の話なのだが。
特掃の仕事をしていると、その当たり前を嫌というほど見せつけられる。
「もっと早く見つけてくれれば」
と思う現場もある。
「もう少し誰かが気にかけていれば」
と思うこともある。
でも、そんなことを言っても時間は戻らない。
だから私は、せめて目の前にいる人間の「今」に、少しくらい役に立てればいいと思っている。
今回、私は骨を見つけられなかった。
だから、仕事としては胸を張って「成功しました」とは言えない。
むしろ、探し物としては失敗である。
それでも、あの女性が白い綿に包まれた毛髪を握りしめ、
「お母さん、お母さん……」
と泣いていた姿は、今でも忘れられない。
あれが「親孝行」と呼べるものなのかどうか、私には分からない。
ただ、あの人が長い間背負ってきた何かを、ほんの少しだけ降ろせたのなら、それでいい。
そんなふうに思っている。
私は片付屋・始末屋であって、探し屋ではない。
でも、人生には、ときどき「探している物」と「本当に探している物」が違うことがある。
骨を探していた女性が、本当に探していたものは、母親の骨ではなかったのかもしれない。
ずっと見つからなかった、
「ごめんなさい」
を伝える場所だったのかもしれない。
そして私は、その場所まで案内する役目を、たまたま引き受けただけだった。
……骨は見つからなかったけど。
まあ、人生なんて、そう簡単には「お探しの物はこちらです」と出てきてくれない。
探し物は、見つからないこともある。
見つからないまま終わることもある。
それでも、人は探す。
何かを見つけるために。
あるいは、自分自身が何を探していたのかを知るために。
私は今日も、片付けの仕事をしている。
できれば、次の依頼は通帳とか印鑑とか、もう少し普通の探し物であってほしい。
骨よりは、ずっと気が楽だ。
……まあ、便器の中から印鑑が出てきても、それはそれで嫌なのだが。





