特殊清掃「金がない」を更新いたしました。
金がない
「お金がないので、先に作業をお願いできませんか」
特殊清掃の仕事をしていると、この言葉を聞く機会は決して少なくない。
昔の私は、その言葉を比較的素直に信じていた。
「事情があるんだろう」
「困っている人なんだから、何とかしてあげよう」
そんな気持ちで動いたことも、一度や二度ではない。
しかし、その結果はどうだったか。
約束した支払い日は過ぎる。
電話はつながらない。
携帯は解約されている。
住んでいた部屋はもぬけの殻。
こちらは汗と時間をかけて現場を元通りにしたというのに、代金だけが残る。
何度、そんな経験をしただろう。
特殊清掃は、決して利益率の高い仕事ではない。
薬剤にも費用がかかる。
消耗品も大量に使う。
車両も機材も維持しなければならない。
スタッフを動かせば人件費も発生する。
「お金を払ってもらえませんでした」
それだけで済む話ではない。
売上が消えるだけではなく、経費だけがそのまま残る。
つまり、働けば働くほど赤字になる。
そんなことを何度も経験すれば、人は変わる。
現在、私が特殊清掃を請ける場合、基本は前金制にしている。
冷たいと思われても構わない。
「困っている人から先にお金をもらうなんて」
そう言われることもある。
しかし、私は慈善事業をしているわけではない。
会社を経営し、従業員を守り、取引先への支払いをし、自分自身も生活している。
一件でも回収不能になれば、その影響は決して小さくない。
だから前金。
それが現在のルールだ。
もちろん、このルールを作ったのは私自身だが、その背景には数え切れないほどの苦い経験がある。
当時は本当に悔しかった。
孤独死の現場。
自殺現場。
事件現場。
誰もやりたがらない仕事を引き受け、悪臭の中で汗だくになりながら片付けを終えた。
依頼者は何度も頭を下げ、
「本当に助かりました。」
そう言っていた。
ところが、支払いになると人が変わる。
電話に出ない。
約束を破る。
最後は姿を消す。
感謝の言葉は、その場限りだった。
そんな経験を繰り返しているうちに、人を見る目も変わっていった。
よく、
「人を騙すより騙される方がいい。」
という言葉を耳にする。
昔の私は、この言葉を聞くたびに違和感を覚えていた。
きれい事だと思っていた。
いや、今でもそう思っている。
騙される側は痛みを知っている。
時間を失う。
お金を失う。
信用を失う。
場合によっては、会社そのものを危険にさらすことだってある。
それでも、
「騙される方が悪くない。」
そんな慰めの言葉だけで済ませられる話ではない。
だから私は思う。
世の中には、騙しても構わない相手を探している人間がいる。
弱そうな人。
断れなさそうな人。
情に流されそうな人。
そういう人間を見つけて利用する。
特殊清掃の依頼者の中にも、残念ながらそういう人物は少なくなかった。
もちろん、全員ではない。
本当に困っている人もいる。
悲しみの真っただ中にいる人もいる。
だが、その中に紛れて平然と嘘をつく人もいる。
その見極めが、この仕事では重要になる。
長年この仕事を続けていると、不思議と勘が働くようになる。
電話の受け答え。
質問への間。
話のつじつま。
家族のことを聞いた時の反応。
言葉遣い。
沈黙。
こちらが少し踏み込んだ質問をした時の空気。
そういうものを総合すると、「何となく」が積み重なってくる。
もちろん百発百中ではない。
私も何度も見誤った。
だから「絶対」は存在しない。
それでも、経験だけは嘘をつかない。
後払いをお願いされた場合、私はかなり細かく話を聞く。
仕事の話だけでは終わらない。
家族構成。
亡くなった方との関係。
現在の状況。
なぜ支払えないのか。
生命保険はあるのか。
相続人は誰なのか。
そこまで聞くことも珍しくない。
失礼な質問だと思われることもある。
しかし、代金を回収できなければ会社は成り立たない。
だから遠慮はできない。
結果として、お断りすることの方が圧倒的に多い。
「申し訳ありませんが、前金でお願いしています。」
そう伝えると、あっさり諦める人もいれば、怒る人もいる。
中には、
「困っている人を助ける気はないのか!」
と責めてくる人までいる。
その言葉を聞くたび、私は心の中で思う。
助けたい気持ちはある。
でも、その責任を私一人が背負う理由はない。
私が代金を立て替え続ければ、いずれ会社が潰れる。
そうなれば、本当に助けを必要としている人の依頼まで受けられなくなる。
だから、感情だけでは仕事はできない。
それが現実だ。
とはいえ、私は鉄でできた人間ではない。
人並みに情はある。
冷たいようでいて、情に流されることもある。
そして、その情が正しかったのか間違っていたのかは、いつも結果が出るまで分からない。
今回の依頼も、その一つだった。
電話の向こうにいた父親は、疲れ切った声でこう言った。
「娘が亡くなりました……。」
その一言から始まった一本の電話が、私を長い葛藤へ引き込むことになる。
電話の向こうの父親
依頼の電話は一本の固定電話からだった。
受話器の向こうから聞こえてきた男性の声は、決して大きくなかった。
ぼそぼそと話すわけでもない。
取り乱して泣いているわけでもない。
しかし、その声には、言葉では説明できない疲労がにじんでいた。
私は仕事柄、毎日のように遺族と話をする。
悲しみ方は人それぞれだ。
泣き崩れる人もいる。
妙に冷静な人もいる。
怒りをぶつけてくる人もいる。
現実を受け止められず、どこか他人事のように話す人もいる。
だから、「涙を流しているから本当に悲しんでいる」「淡々としているから冷たい人だ」とは思わない。
人は極度のショックを受けると、感情の表し方まで変わってしまうものだからだ。
父親は、自分の娘について静かに話し始めた。
亡くなったのは二十代。
アパートで一人暮らしをしていた。
発見された時には、すでに腐敗が進んでいた。
第一発見者は大家ではなく、関係者だったという。
警察から連絡が入り、夫婦で現場へ向かった。
部屋のドアが開いた瞬間の光景は、今でも頭から離れないという。
「もう……二度と行けません。」
父親はそう言った。
そして続けて、
「妻はあの日から寝込んでいます。」
と、小さな声で付け加えた。
私は返す言葉が見つからなかった。
子どもを亡くすだけでも耐え難い。
それが、腐乱した姿との対面となれば、その衝撃は計り知れない。
現場の臭いは、何年経っても記憶から消えない人がいる。
部屋の空気。
床の色。
虫の羽音。
それらが何年も夢に出てくるという遺族にも会ってきた。
だから私は無理に現場へ来るよう勧めない。
「最後だから見ておいた方がいいですよ。」
そんなことも言わない。
見なくてもいい地獄は、この世にはある。
父親は、不動産会社から鍵を借りられるよう手配してくれた。
私はいつものように現場へ向かった。
部屋に近づくにつれて、廊下には独特の臭気が漂っていた。
真夏ではない。
それでも腐敗臭は建物全体に染みついている。
住民にとっても苦痛だっただろう。
大家が早く何とかしてほしいと焦る理由も理解できた。
玄関を開ける。
空気が重い。
鼻だけではない。
皮膚にまとわりつくような臭気がある。
この仕事を始めた頃は、その場で吐き気を催すこともあった。
今は慣れた。
慣れたと言っても、臭いを感じなくなったわけではない。
感じ方が変わっただけだ。
「これは何日くらい経過している。」
「この臭いなら床下まで浸透している。」
「薬剤はこれくらい必要だ。」
頭の中では、臭いを情報として処理するようになった。
部屋は決して広くない。
一人暮らし用の、ごく普通のアパート。
生活感はそのまま残っていた。
洗いかけの食器。
途中まで読んだ雑誌。
充電器につながれたままのスマートフォン。
冷蔵庫には食べかけの食品。
カレンダーには予定が書き込まれている。
どれも、「また明日」が来ることを前提に残されたものばかりだった。
孤独死の現場では、この「日常」が一番胸に刺さる。
人は突然いなくなる。
しかし、部屋だけは、その人が生きているつもりのまま時間を止めている。
そこへ腐敗だけが進んでいく。
私は必要な写真を撮影し、部屋全体を確認した。
床材の交換は避けられない。
消臭だけでも相当な工程になる。
通常のハウスクリーニングとは比較にならない。
見積金額も決して安くはならない。
現場を後にし、事務所へ戻って見積書を作成した。
それをファクスで父親へ送る。
しばらくして電話が鳴った。
「見積書、拝見しました。」
声はさらに小さくなっていた。
そして少し間を置いて、父親は切り出した。
「実は……今、お金がありません。」
私は黙って続きを待った。
「娘の生命保険があります。」
「それが入れば必ず支払います。」
「だから、先に作業をお願いできませんか。」
この言葉を、私は過去に何度も聞いてきた。
生命保険。
相続。
保険金が入ったら。
家を売ったら。
退職金が入ったら。
どれも特殊清掃業者には珍しくない話だ。
そして、その中には本当の話もあれば、嘘もあった。
だから私は簡単には信じない。
父親にも、いくつもの質問をした。
生命保険会社はどこか。
受取人は誰か。
手続きは始まっているのか。
兄弟姉妹はいるのか。
相続でもめていないか。
不動産会社との契約はどうなっているのか。
一つひとつ確認していく。
仕事の打ち合わせというより、事情聴取に近かったかもしれない。
失礼だと思われても仕方がない。
それでも聞かなければならなかった。
これまで何度も騙されてきた私には、それくらいしか自分を守る方法がなかったからだ。
父親は嫌な顔一つせず、質問に答え続けた。
答えに迷いがない。
話のつじつまも合っている。
作り話特有の不自然さも感じない。
電話越しではあるが、「この人は嘘をついていないのではないか」。
そんな感覚が少しずつ芽生え始めていた。
だが、経験はもう一人の私にささやく。
「前にも同じように信じて裏切られただろう。」
情で仕事をすれば、また痛い目を見る。
その記憶が、簡単には消えてくれなかった。
電話を切ったあとも、私はしばらく受話器を見つめたまま動けなかった。
この依頼を受けるべきか。
断るべきか。
答えは、まだ出ていなかった。
情で仕事はできない。でも、情が邪魔をする。
電話を切ってからも、父親の声が頭から離れなかった。
「生命保険が入ったら、必ず支払います。」
この仕事を長く続けていると、「必ず」という言葉ほど信用できないものはない。
支払います。
後で振り込みます。
来週には何とかします。
どれだけ聞いてきただろう。
約束は、口にするだけなら誰にでもできる。
問題は、その約束を守るかどうかだ。
私は過去に何度も「人を信じる」という選択をした。
そのたびに裏切られたわけではない。
きちんと支払ってくれた人もいる。
だが、何度か続いた未回収は、会社の経営に少なくないダメージを与えた。
特殊清掃は、道具さえあればできる仕事ではない。
薬剤や消耗品だけでも相当な費用がかかる。
防護服は使い捨て。
手袋もマスクも交換する。
消臭剤、除菌剤、オゾン脱臭機、廃棄物の処理費、車両の燃料代。
さらに人を動かせば人件費が発生する。
「今回は払ってもらえませんでした。」
それで済む話ではない。
赤字を抱えたまま、次の現場へ向かわなければならない。
経営者として考えれば、答えは簡単だった。
断る。
それが正しい。
それなのに、私は迷っていた。
もし亡くなったのが高齢者だったら。
もし何年も音信不通だった親族だったら。
もしかすると、ここまで迷わなかったかもしれない。
だが今回は違った。
亡くなったのは、まだ二十代の女性だった。
親より先に逝くには、あまりにも若すぎる。
事故でも事件でもなく、自然死。
誰にも看取られることなく、アパートの一室で命を終えた。
発見されるまで誰にも気づかれなかった。
その事実だけでも、胸の奥に何か重たいものが残った。
私は現場で、亡くなった人の年齢を意識しないようにしている。
そうしないと仕事にならないからだ。
年齢や境遇に感情移入していたら、防護服を着るたびに心が削られてしまう。
だから、目の前にあるのは「現場」。
それだけだと自分に言い聞かせている。
だが、人間はそんなに器用ではない。
部屋に残された生活用品を見れば、その人の日常が見えてしまう。
女性向けの雑誌。
化粧品。
クローゼットに並んだ洋服。
冷蔵庫の中の飲み物。
洗濯途中の衣類。
「また明日も仕事だ。」
「今度の休みは何をしよう。」
そんな当たり前の日常が、そのまま止まっていた。
私は、仕事だからと割り切れるほど強くはない。
何度現場を経験しても、若い人の死だけは慣れない。
だからこそ、父親の声が気になってしまったのだろう。
娘を亡くした親が、さらに金のことで追い詰められている。
大家や管理会社からは、「早く部屋を原状回復してほしい」と催促される。
もちろん、それも間違ってはいない。
空室になれば家賃収入は止まる。
異臭が続けば他の入居者にも影響する。
管理会社にも責任がある。
誰も悪くない。
それぞれが、それぞれの立場で困っているだけだ。
だから余計に厄介なのだ。
私は何度も見積書を見直した。
値引きできるところはないか。
工程を減らせないか。
利益を削れば、多少は負担を軽くできるかもしれない。
だが、削れるものはほとんどなかった。
特殊清掃は、見えない部分ほど手間がかかる。
臭いは壁紙を替えれば終わるものではない。
床材を剥がし、下地まで確認し、必要なら木材を交換し、消毒し、乾燥させ、何度も脱臭を繰り返す。
手を抜けば、数か月後にまた臭いが戻る。
それではプロではない。
だから私は値引きではなく、別の結論を出した。
「今回は、前金なしで受けよう。」
決断した瞬間、不思議と気持ちは静かだった。
もちろん、不安が消えたわけではない。
むしろ覚悟を決めたと言った方が近い。
最悪の場合、代金は回収できない。
その可能性も十分ある。
だが、それでも今回は断れなかった。
父親へ電話をかける。
「分かりました。」
「作業を始めます。」
電話の向こうで、しばらく沈黙が続いた。
そして、小さく、
「ありがとうございます。」
という声が聞こえた。
その声には、安堵もあった。
申し訳なさもあった。
私はそれ以上、余計なことは言わなかった。
「頑張ってください。」
そんな言葉は軽すぎる。
「気を落とさないでください。」
そんなことを言われて気持ちが楽になる人はいない。
だから業務連絡だけを伝えて電話を切った。
翌日から作業が始まった。
防護服に袖を通し、マスクを装着する。
部屋の空気は相変わらず重い。
腐敗臭は簡単には消えない。
床には体液が深く浸透し、表面だけを清掃しても意味がない状態だった。
一つひとつ解体し、洗浄し、消毒し、運び出す。
黙々と手を動かす。
私は仕事中、亡くなった人のことを想像しないようにしている。
その人がどんな人生を送り、何を考え、何を楽しみに生きていたのか。
考え始めると、手が止まる。
特殊清掃員に必要なのは涙ではない。
最後まで作業をやり遂げることだ。
だから私は無心になる。
ただ、この日の現場だけは違った。
部屋の静けさの中で、ふと父親の言葉が浮かぶ。
「もう二度と現場には行けません。」
その気持ちは理解できた。
私も、もし自分の子どもだったら、この部屋へ入る勇気はないかもしれない。
だからこそ、この仕事は私がやる。
そう思いながら、床に染み込んだ痕跡を、一つずつ消していった。
人を信じるということ
作業は予定どおり終了した。
床材を撤去し、汚染部分を処理し、何度も消毒と脱臭を繰り返す。
腐敗臭は、一度薬剤を撒いただけでは消えない。
臭いは目に見えないが、確実に部屋のあちこちへ染み込んでいる。
だから時間をかける。
手間を惜しまない。
「ここまでやれば大丈夫だろう。」
そう思えるところまでやる。
それが特殊清掃という仕事だ。
作業終了後、私は管理会社へ連絡を入れ、部屋の引き渡しができる状態になったことを伝えた。
その後、父親にも電話をした。
「作業は終わりました。」
電話の向こうで、父親は何度も礼を言った。
だが、最後まで現場へ来ることはなかった。
責めようとは思わない。
現場を見たくないという気持ちは理解できる。
いや、理解できるようになったという方が正しい。
この仕事を始めた頃の私は、遺族に対してどこか冷めた見方をしていた。
「最後くらい来ればいいのに。」
そんなふうに思ったこともある。
しかし、多くの現場を経験するうちに、その考えは変わった。
人には、それぞれ限界がある。
見られる人もいる。
見られない人もいる。
立ち向かえる人もいれば、心が折れてしまう人もいる。
どちらが正しいという話ではない。
それほどまでに、家族の死というものは人を変えてしまう。
今回の依頼では、私は最初から最後まで父親と一度も顔を合わせることがなかった。
見積りも電話。
打ち合わせも電話。
報告も電話。
鍵の受け渡しは不動産会社。
請求書も郵送だった。
こんなケースは珍しい。
普通はどこかで依頼者と顔を合わせる。
部屋を確認してもらったり、作業内容を説明したり、最後に精算をしたり。
それが一度もなかった。
だからこそ、私は電話の向こうの声だけを頼りに判断した。
人を信じるというのは、案外そういうものなのかもしれない。
顔を見たから信用できるわけではない。
名刺をもらったから安心というわけでもない。
逆に、何度も顔を合わせながら平気で嘘をつく人もいた。
私を騙した人たちの多くは、決して悪人らしい顔をしていたわけではない。
むしろ、人当たりがよく、話も上手だった。
だから、人を見る目というものは本当に難しい。
さて、一番気になるのは、お金のことだろう。
結局、父親は支払ったのか。
それとも、私がまた騙されたのか。
実は、現時点では、その答えをここで詳しく書くつもりはない。
もったいぶっているわけではない。
この話で本当に伝えたいことは、支払われたかどうかではないからだ。
もちろん、商売だから代金は重要だ。
利益がなければ会社は続かない。
従業員も守れない。
だから私は今でも原則として前金制を続けている。
この考えは変わらない。
「今回の話があるなら、もっと後払いを認めてもいいじゃないか。」
そう思う人もいるかもしれない。
だが、それとこれとは別の話だ。
一件の例外を基準にルールを変えてしまえば、また同じ失敗を繰り返す。
会社は感情だけでは守れない。
だから私は、自分で決めた原則は崩さない。
それでも、ごくまれに、その原則を曲げることがある。
計算ではない。
理屈でもない。
長年この仕事を続けてきた中で培われた勘と、そのときの自分の覚悟で決める。
当たることもある。
外れることもある。
もし外れれば、私の責任だ。
誰のせいにもできない。
私は、「人を騙すより、騙される方がいい」という言葉は、今でも好きではない。
騙されれば傷つく。
腹も立つ。
損もする。
きれいごとでは済まない。
だからといって、「もう誰も信じない」という生き方も、どこか違う気がしている。
誰も信じなくなれば、この仕事はできない。
依頼者を疑い続け、遺族の話をすべて嘘だと思って接していたら、きっと私自身の心が先に壊れてしまう。
だから私は、原則として疑う。
でも、最後は信じるかどうかを自分で決める。
その責任も、自分で背負う。
それが今の私の仕事のやり方だ。
特殊清掃という仕事は、部屋をきれいにする仕事だと思われがちだ。
もちろん、それは間違いではない。
だが、私が向き合っているのは、部屋だけではない。
残された家族の後悔。
近隣住民の不安。
大家の事情。
管理会社の責任。
そして、お金という現実。
そのすべてが、一つの現場に詰まっている。
だから、この仕事には正解がない。
毎回、迷う。
毎回、考える。
そして、答えが出ないまま次の現場へ向かう。
そんな仕事を、私はもう何年も続けている。
もし、この先も「お金がないので先に作業をしてください」と言われたらどうするか。
たぶん、私はまた悩むだろう。
そして、原則は前金と言いながらも、電話の向こうの声に耳を傾けるのだと思う。
人は数字だけでは測れない。
しかし、数字を無視して会社も続けられない。
その狭い境界線の上を、今日も私は歩いている。





