特殊清掃「独居男の悲哀」を更新いたしました。
独居男の悲哀 【孤独死 特殊清掃 遺品整理 デジタル遺品 ゴミ部屋】
孤独死の現場で気づく意外な共通点
若年から中年の孤独死は、世間が思っている以上に珍しいものではない。
「孤独死」と聞くと、高齢者が誰にも看取られず亡くなる姿を思い浮かべる人が多いだろう。しかし、実際の現場では四十代、五十代、時には三十代の独身男性が、自宅で病気などにより突然亡くなり、そのまま数日から数週間発見されないというケースも決して少なくない。
もちろん、自殺ではない。
心筋梗塞や脳卒中、急性の病気、持病の悪化など、昨日まで普通に生活していた人が、ある日突然そのまま人生を終えてしまう。
一人暮らしという生活は自由で気楽な反面、何かあった時に誰も異変に気付かないという危うさも抱えている。
私はそうした現場に数多く立ち会ってきた。
仕事柄、一般の人なら一生見ることのない部屋を見る機会がある。亡くなった人が最後まで生活していた空間は、その人の人生そのものが詰まっている。
几帳面な人なら、部屋は驚くほど整然としている。
趣味人なら、好きだったものが所狭しと並んでいる。
仕事一筋だった人なら、机の上には資料や専門書が積み重なっている。
生活の跡というものは、不思議なくらいその人の性格を映し出す。
そして、数多くの現場を見ていると、ある一つの共通点に気付くようになる。
それは、独居男性の部屋には驚くほど高い確率でエログッズが大量に存在することである。
エロ本。
DVDやBlu-rayのAV。
成人向け雑誌。
アダルトグッズ。
ネット配信全盛の時代になっても、紙媒体やディスクを大量に所有している人は意外なほど多い。
しかも、「少しある」というレベルではない。
押し入れいっぱい。
本棚一列まるごと。
段ボール十箱以上。
中には数百冊、数千枚という人までいる。
初めて現場に入った人なら、まず驚くだろう。
「こんなに持っていたのか。」
そんな言葉が自然に漏れるほどの量なのである。
普通に考えれば、古いものや飽きたものは処分しても良さそうなものだ。
しかし、現実はそうではない。
新しい作品を買っても古い作品は捨てない。
また新しいものを買う。
そして捨てない。
その繰り返しで年月が過ぎ、気付けば一つのコレクションが出来上がっている。
男性なら多少なりとも理解できる心理かもしれない。
「いつかまた見るかもしれない。」
「これは名作だから。」
「もう手に入らない。」
理由はいくらでも後付けできる。
だが、本音は単純だ。
何となく捨てられないのである。
漫画や本にも同じことは言えるが、エログッズには独特の「惜しい」という感覚があるらしい。
その結果、部屋の一角が成人向けコレクション専用スペースになっていることも珍しくない。
もちろん、これは犯罪でも何でもない。
成人が合法的に購入したものであれば、誰にも迷惑はかけていない。
趣味と言ってしまえば、それまでである。
だから私は、それ自体を批判するつもりは全くない。
人には人の楽しみがある。
他人がとやかく言う話ではない。
ただ、亡くなった後になると話は少し変わってくる。
生きている間は、自分しか知らなかった趣味。
誰にも見せるつもりのなかったコレクション。
それが突然、家族や親族、管理会社、警察、大家、そして私たちのような遺品整理に携わる人間の目に触れることになる。
本人はそんな未来を想像していただろうか。
おそらく、多くの人は考えていない。
人は誰でも、「自分はまだ死なない」とどこかで思って生活している。
だから部屋も、そのまま。
パソコンも、そのまま。
スマートフォンも、そのまま。
そして大量のエログッズも、そのまま残される。
死は、本人の準備が整うまで待ってくれるものではない。
だからこそ、孤独死の現場では、その人の最もプライベートな部分が、思いがけない形で人前にさらされることになる。
現場に立つたび、「人生とは皮肉なものだ」と感じる瞬間でもある。
もっとも、それを見慣れている私たちは驚きもしない。
「ああ、この方も好きだったんだな。」
それくらいにしか思わない。
しかし、同じ光景を見ても、遺族の反応はまるで違う。
そこには、現場で何度も目にする、ある共通したやり取りがある。
そして、そのやり取りこそが、この仕事をしていて毎回考えさせられる場面なのである。
独居男の悲哀② 「お恥ずかしい……」と謝る遺族
孤独死の現場で、私が何度も耳にしてきた言葉がある。
「お恥ずかしいところを、お見せしてしまって……。」
あるいは、
「すみません。」
決して一度や二度ではない。
年齢も職業も家庭環境も違う遺族が、まるで打ち合わせでもしたかのように、同じような言葉を口にする。
最初の頃は少し意外だった。
なぜ謝るのだろう、と。
部屋を散らかしたのは遺族ではない。
エロ本を買ったのも遺族ではない。
AVを何百本も集めたのも、アダルトグッズを押し入れいっぱいにしまい込んだのも、亡くなった本人である。
にもかかわらず、謝るのは決まって家族なのだ。
親であったり、兄弟であったり、姉妹であったり。
中には、数十年ぶりに弟の部屋へ入ったという兄が、申し訳なさそうに頭を下げたこともあった。
その姿を見るたび、私は少し複雑な気持ちになる。
別に謝らなくてもいい。
そう思うからだ。
私たちは仕事として現場へ入っている。
散らかった部屋も見る。
ゴミ屋敷も見る。
腐敗した現場も見る。
虫も、臭いも、血痕も見る。
その中の一つとして、エログッズが大量にある部屋を見るだけの話である。
驚きもしなければ、軽蔑もしない。
「男性だったら、まあ珍しくはないですね。」
心の中では、その程度で終わっている。
だから謝られても困ってしまう。
「いえ、大丈夫ですよ。」
そう答えるしかない。
しかし、その「大丈夫ですよ」も何だか違う気がする。
何が大丈夫なのか、自分でも分からない。
「気にしないでください。」
と言えば、本当に気にしていないのかと言われそうだし、
「よくあることです。」
と言えば、故人を一括りにしているようで失礼にも聞こえる。
結局、曖昧に笑ってしまうことが多い。
仕事を長くしていても、この場面だけは毎回少し居心地が悪い。
遺族も気まずい。
私も気まずい。
何とも言えない空気だけが流れる。
だが、その空気をつくっているのは、エログッズそのものではない。
「性」に対する日本人独特の感覚なのだろう。
暴力映画を何百本持っていても、誰も謝らない。
釣り道具が部屋中にあっても謝らない。
鉄道模型が何百万円分あっても謝らない。
しかし、エロ本が本棚いっぱいあると、人はなぜか申し訳なく感じる。
不思議な話である。
生きている人間には性欲がある。
男にも女にもある。
年齢を重ねても、それがゼロになるわけではない。
そんな当たり前のことを誰もが知っている。
それなのに、いざ現実として目の前に積み上がったエロ本を見ると、「見てはいけないものを見てしまった」という空気になる。
まるで秘密基地の扉を開けてしまったような感覚だ。
そして、その秘密を他人に知られた遺族が、なぜか代わりに謝る。
考えてみれば少し滑稽である。
だが、その滑稽さを笑う気にはなれない。
遺族だって好きで謝っているわけではない。
父親の趣味を知ってしまった娘。
息子の部屋を片付ける母親。
兄の秘密を初めて知った妹。
それぞれ胸の内は複雑だ。
驚きもあるだろう。
呆れる気持ちもあるだろう。
「こんなに集めていたなんて……。」
そう思うのも無理はない。
だから、とっさに「すみません」と言ってしまう。
謝る理由なんて、本当はない。
それでも口から出てしまう。
日本人らしいと言えば、日本人らしい。
家族の失敗は自分の失敗。
家族の恥は自分の恥。
そんな感覚が、まだどこかに残っているのかもしれない。
一方で、私は現場でこんなことも考える。
もし立場が逆だったら、自分の親族の部屋から大量のエロ本が出てきた時、果たして平然としていられるだろうか。
たぶん無理だ。
仕事だから冷静でいられるだけで、自分の家族となれば話は別である。
苦笑いくらいはしてしまうだろう。
「親父、こんなに持ってたのかよ。」
そんな言葉が漏れるかもしれない。
だから私は、遺族の気持ちも理解できる。
理解できるからこそ、必要以上に茶化したりもしない。
現場では、黙って段ボールへ詰めていく。
それが一番いいと思っている。
故人が生前、大切にしていたものなら、それはそれで一つの人生だ。
他人が笑う資格などない。
とはいえ、毎回思うことがある。
本人がこの光景を見たら、どう思うだろう。
家族が自分のコレクションを前に赤面し、他人へ頭を下げている姿を見たら――。
きっと布団をかぶって隠れたくなるのではないだろうか。
「頼むから、それだけは見ないでくれ!」
草葉の陰で、そんな悲鳴を上げているような気がしてならないのである。
独居男の悲哀③ なぜ男は捨てられないのか
孤独死の現場を数多く見ていると、一つ気付くことがある。
エログッズが大量にある人は、その部屋にある他の物もあまり捨てていないことが多い。
もちろん例外はある。
部屋の中は驚くほど整理整頓され、掃除も行き届いている。それでも押し入れの奥だけは「大人の図書館」になっているような人もいる。
しかし全体として見ると、「捨てるのが苦手な人」という共通点は少なくないように感じる。
雑誌。
漫画。
ゲーム。
CD。
DVD。
家電の空き箱。
昔の携帯電話。
壊れたパソコン。
「いつか使うかもしれない。」
「まだ使える。」
「思い出がある。」
理由はさまざまだが、結局は残り続ける。
エログッズも、その延長線上にあるのだろう。
もっとも、男性にとってエログッズは少し特殊な存在でもある。
普通の雑誌なら、一度読めば処分できる。
映画のDVDも、何年も見なければ売ってしまう人は多い。
しかし、エロ本やAVだけは「いつかまた見るかもしれない」と思ってしまう。
実際に見るかどうかは別として、「捨てる」という決断だけが先送りされる。
その結果、十年、二十年と積み重なっていく。
中には、すでに再生する機械すら持っていないDVDやビデオテープが大量に残っていることもある。
「これ、もう見られませんよ。」
そう言いたくなるが、本人はきっと承知の上だったのだろう。
見るためというより、「持っていること」に意味があったのかもしれない。
人は、自分だけの世界を持ちたがる。
誰にも見せない趣味。
誰にも理解されなくても構わない楽しみ。
秘密基地のような空間。
独身生活が長い人ほど、その世界は少しずつ広がっていく。
誰にも注意されない。
誰にも片付けろと言われない。
今日はこれを買おう。
来月もまた一冊。
気付けば、本棚一つでは収まりきらなくなっている。
それは自由の代償でもある。
家族と暮らしていれば、どこかでブレーキがかかる。
「そんなに買ってどうするの。」
「置く場所がないでしょう。」
そんな何気ない一言が、案外歯止めになる。
しかし一人暮らしでは、その役を担う人がいない。
欲しいと思えば買える。
置ける場所がある限り増やせる。
止める人がいないということは、とても気楽だ。
同時に、とても危うくもある。
私は決して、それを悪いことだと言いたいわけではない。
趣味というものは、本来そんなものだ。
釣り人は釣具を集める。
カメラ好きはレンズを集める。
時計好きは何本も腕時計を持つ。
鉄道ファンは模型を増やしていく。
それと同じように、成人向け作品が好きな人は、それを集める。
ただ、それが「性」に関わる趣味だから、人目についた瞬間に急に恥ずかしいものへ変わってしまう。
それだけの違いなのかもしれない。
とはいえ、現場で思わず笑ってしまうこともある。
例えば、本棚には文学全集が並んでいる。
哲学書や歴史書もある。
難しそうな専門書もある。
「読書家だったんだな。」
そう思って隣を見ると、その横には成人向けDVDが何百本も整然と並んでいる。
しかも、出版社別や女優別にきれいに分類されている。
几帳面なのである。
その几帳面さを、もう少し別の方向へ使えば……と思わなくもないが、それは余計なお世話だろう。
人間とは、案外こういうものなのだ。
立派な面もあれば、くだらない面もある。
真面目な顔で仕事をしながら、家では誰にも見せない趣味を楽しむ。
それが普通の人間だ。
聖人君子のような人など、そうそういない。
だから私は、現場でエログッズを見つけても、その人の人格まで判断することはない。
むしろ逆だ。
「ああ、この人も普通の男だったんだな。」
そう思うだけである。
生前、どれほど真面目に働いていた人でも、どれほど社会的地位が高かった人でも、人には誰にも見せない一面がある。
その一面が、亡くなったあとに偶然見つかってしまう。
ただ、それだけの話だ。
しかし、その「ただそれだけ」が、孤独死では思わぬ形で表に出る。
もし家族に看取られて亡くなっていれば、生前のうちに部屋を整理する時間もあったかもしれない。
「これは処分しておこう。」
「これは見られるとまずいな。」
そんな準備もできただろう。
ところが孤独死は違う。
昨日まで普通に暮らしていた部屋が、そのまま時間を止める。
机の上には飲みかけのペットボトル。
洗濯物は干したまま。
冷蔵庫には食材。
そして押し入れには、誰にも見せるつもりのなかったコレクション。
人生は、そんなにもあっけなく途中で終わってしまうことがある。
だから私は、この話を笑い話だけで終わらせる気にはなれない。
エロ本が問題なのではない。
AVの本数が問題なのでもない。
本当に考えるべきなのは、「突然死んだら、自分の部屋はそのまま他人に見られる」という、ごく単純で、ごく現実的な事実なのである。
独居男の悲哀④ 本当に恥ずかしいのは誰なのか
「もし、自分が突然死んだら。」
この仕事をしていると、そんなことを考えない日はない。
現場へ向かう車の中でも、作業を終えて帰る道でも、ふと頭をよぎる。
誰だって、自分だけはまだ先のことだと思って生きている。
私もそうだ。
健康に気を付けている人でも、事故や急病は避けられない。
明日も普通に目が覚める保証など、誰にもない。
だからこそ、孤独死の現場は他人事ではないのである。
遺品整理の仕事をしていると、「故人の人生」を片付けているような気持ちになることがある。
家具や家電だけではない。
アルバム。
手紙。
通帳。
診察券。
趣味の道具。
着古した服。
そして、誰にも見せるつもりのなかったエログッズ。
それらはすべて、その人が生きてきた証である。
人間というのは面白いもので、亡くなった瞬間から、それまで大切にしていた物が「遺品」という名前に変わる。
昨日までは宝物だったものが、今日は処分する物になる。
本人の意思とは関係なく。
考えてみれば、少し切ない話だ。
大量のエロ本を見て、「情けないな」と笑う人もいるだろう。
「いい歳をして。」
そう言う人もいるかもしれない。
しかし私は、そんなふうには思わない。
なぜなら、その本棚には嘘がないからだ。
会社では真面目な社員だったかもしれない。
近所では礼儀正しい人だったかもしれない。
親戚からは「立派な人」と思われていたかもしれない。
けれど、自宅だけは違う。
誰にも気を遣わず、自分だけの時間を過ごせる場所だ。
そこで見せる姿こそ、その人の素顔なのだろう。
人は誰でも、表の顔と裏の顔を持っている。
仕事用の顔。
家族の前の顔。
友人の前の顔。
そして、誰にも見せない顔。
それらを全部ひっくるめて、一人の人間である。
だから私は、押し入れの奥から大量のエロ本が出てきても、「この人はダメな人だった」とは思わない。
むしろ、人間らしいと思う。
完璧な人間などいない。
誰にも言えない趣味もあれば、秘密もある。
それを抱えたまま人生を終える人がほとんどだ。
では、本当に恥ずかしいのは何なのだろう。
エログッズを持っていることなのか。
それとも、それを見られることなのか。
私は後者だと思う。
いや、もっと正確に言えば、「見られると思っていなかったものを見られること」が恥ずかしいのだ。
例えば、日記だってそうだ。
恋人への手紙もそうだろう。
スマートフォンの検索履歴もそうかもしれない。
他人には見られたくないものは、誰にでもある。
それがたまたまエロ本だっただけの話だ。
だから私は、遺族が「恥ずかしい」と言うたびに、「そんなことありませんよ」と軽く流すことはしない。
その人にとっては、本当に恥ずかしい出来事なのだから。
笑って済ませられる話ではない。
とはいえ、少しだけ想像してしまうこともある。
もし故人が天井の隅からこの様子を見ていたら、どんな顔をしているだろう。
母親が段ボールにエロ本を詰めている。
兄がAVを運び出している。
妹が「これはどうしますか」と困っている。
その横で、遺品整理業者が黙々と作業を進めている。
きっと故人は叫んでいる。
「違う! そこは開けるな!」
「その箱は見なくていい!」
「頼むから、その引き出しだけは……!」
しかし、残念ながらその願いは届かない。
亡くなった人は、自分の秘密を守ることができない。
これは少し残酷な現実である。
だから私は、ときどき思う。
終活というと、多くの人は財産や相続のことばかり考える。
遺言書を書く。
保険を整理する。
銀行口座をまとめる。
もちろん、それも大切だ。
しかし、それ以上に大切なことがあるのではないか。
「自分しか知らない物を、どうするか。」
これも立派な終活だと思う。
エログッズに限らない。
日記でもいい。
写真でもいい。
パソコンのデータでもいい。
スマートフォンでもいい。
誰にも見られたくないものがあるなら、生きているうちに少しだけ整理しておく。
たったそれだけで、遺された家族の気まずさはずいぶん減る。
そして何より、自分自身も安心できる。
私は決して、「全部捨てましょう」と言いたいわけではない。
趣味まで否定する気はない。
人には人の楽しみがある。
ただ一つだけ言えることがある。
人生は、自分が思っているほど予定どおりには終わらない。
そのことだけは、数え切れない現場が教えてくれた事実なのである。
独居男の悲哀⑤ 最後に残るもの、残してはいけないもの
孤独死の現場を見るたびに思うことがある。
人間は、最後の瞬間まで「自分の人生が続く」と思って暮らしている。
今日の夜も飯を食べる。
明日も仕事へ行く。
休日になれば好きなことをする。
来月になれば、また何か買う。
そんな当たり前の日常が、突然途切れる。
本人にとっては、まさに寝耳に水である。
だから部屋には、その人が最後まで生きていた証が残る。
飲みかけのペットボトル。
脱ぎっぱなしの服。
読みかけの本。
趣味の道具。
そして、大量のエログッズ。
それらを見ると、「この人にも普通の日常があったんだな」と感じる。
笑ってしまうような物もある。
思わず苦笑いしてしまう場面もある。
しかし、その奥には必ず一人の人間の人生がある。
そこを忘れてはいけないと思っている。
世の中には、孤独死した人を簡単に批判する人もいる。
「だから独身はダメなんだ。」
「誰にも相手にされなかったからだ。」
「自業自得だ。」
そんな言葉を耳にすることもある。
しかし、現場を見てきた人間からすると、そんな単純な話ではない。
孤独死する人の人生は、本当にさまざまである。
友人が少なかった人もいる。
家族と疎遠だった人もいる。
逆に、仕事では多くの人に慕われていた人もいる。
若い頃は結婚していた人もいる。
離婚や死別を経験した人もいる。
病気を抱えていた人もいる。
誰だって、少し歯車が狂えば一人になる可能性がある。
だから「孤独死する人間には問題がある」と簡単に決めつけることはできない。
ただ、一つだけ現実として言えることがある。
一人暮らしの人ほど、自分の身を守る意識を持ってほしいということだ。
特に男性は、自分の健康を後回しにする人が多い。
多少体調が悪くても、
「寝れば治る。」
「病院は面倒だ。」
「まだ大丈夫。」
そうやって放置する。
若いうちは、それでも何とかなる。
しかし年齢を重ねると、体は正直になる。
突然の病気。
急な体調悪化。
誰にも連絡できない状況。
それが、そのまま孤独死につながることがある。
だから独居男性に伝えたい。
健康診断くらいは受けた方がいい。
体の異変を感じたら病院へ行った方がいい。
部屋に緊急連絡先を残しておいた方がいい。
近所や友人とのつながりを完全に切らない方がいい。
これは大げさな話ではない。
「自分は大丈夫」と思っている人ほど、一度考えてほしい。
もし明日、自分が倒れたら。
もし数日間、誰にも連絡できなかったら。
その時、誰が気付いてくれるだろうか。
そしてもう一つ。
部屋の中も少しだけ整理しておいた方がいい。
何もかも捨てろという話ではない。
趣味をやめろという話でもない。
エログッズを持つな、などと言うつもりもない。
人間には楽しみが必要だ。
一人の時間を豊かにする趣味は、人生にとって大切なものだ。
ただ、「自分が突然いなくなった後」を少しだけ考えてほしい。
押し入れの奥に何があるのか。
パソコンの中に何が残っているのか。
スマートフォンにはどんなデータが入っているのか。
それを整理することは、自分を守ることでもあり、残された人への配慮でもある。
特にエログッズについて言えば――。
もし大量に持っているなら、健康管理には人一倍気を付けた方がいい。
これは冗談のようでいて、冗談ではない。
本人が元気に生きている間なら、それはただの趣味で済む。
しかし、突然亡くなれば、その瞬間からそれは「遺品」になる。
そして、その遺品を片付けるのは、本人ではない。
家族である。
親である。
兄弟である。
時には、何十年も会っていなかった親族かもしれない。
故人からすれば、
「まさか最後にそこを見られるとは……」
という人生最大級の不本意な展開になる可能性もある。
あの世が本当にあるのかは分からない。
しかし、もしあるのなら、孤独死した男性たちの中には、きっとこう叫んでいる人もいるだろう。
「俺の人生の最後の公開処刑が、そこなのか!」
と。
もちろん、これは笑い話である。
だが、その笑いの中には少しだけ現実が含まれている。
人間は誰でも秘密を持っている。
誰にも見せたくない部分がある。
それ自体は悪いことではない。
むしろ、それが人間らしさなのだと思う。
完璧な人間などいない。
立派な顔をして仕事をしていても、家ではだらしない。
真面目な人でも、くだらない趣味を持っている。
強そうに見える人でも、孤独を抱えている。
それが普通である。
だから最後に言いたい。
独身でもいい。
一人暮らしでもいい。
趣味があってもいい。
ただ、自分の人生の後始末だけは、少しだけ考えておいてほしい。
健康に気を付ける。
人とのつながりを切らない。
最低限の整理をしておく。
それだけで、未来は少し変わる。
そして願わくば、大量のエログッズを残したまま、誰にも気付かれずに発見されるような最後だけは避けてほしい。
好きな趣味を楽しむ人生は悪くない。
しかし、その人生の最後くらいは、自分自身で少しだけ準備しておく。
それが、大人の男としての最後のたしなみなのかもしれない。





