特殊清掃「遺族の嘘」を更新いたしました。
遺族の嘘
遺品回収の依頼で、見積りに出向いた。
依頼者は中年の女性。
現場は、よくある公営団地だった。
「独り暮らしをしていた父親が亡くなったので、遺品を処分したい」
電話では、そう聞いていた。
遺品回収の仕事をしていると、「亡くなった」という言葉には、いろいろな続き方がある。
病院で亡くなった。
施設で亡くなった。
自宅で亡くなった。
そして、自宅で亡くなった場合も、発見されるまでの時間によって、現場の様子はまったく違う。
玄関を開けた瞬間に、だいたい分かることもある。
逆に、部屋の奥まで入らないと分からないこともある。
今回は、玄関を開けた段階では、特に変わった感じはなかった。
「男の一人暮らし」という言葉から想像する、なんとなく散らかった部屋。
物が多い。
掃除が行き届いていない。
長年使われた家具や生活用品が、そのまま残っている。
まあ、珍しくない。
「男性の一人暮らしなら、こんなもんだろう」
くらいに思いながら部屋に入った。
ところが。
部屋の中を進んでいくと、かすかに鼻につく臭いがした。
ほんのわずか。
強烈というほどではない。
「ん?」
という程度の違和感だった。
依頼者の女性が申し訳なさそうに言った。
「男の独り暮らしで、不衛生な生活をしていたので……臭くてスイマセン」
「ああ、なるほど」
と、私は一応うなずいた。
しかし、こちらもこの仕事をそれなりに長くやっている。
ゴミの臭い。
生ゴミの臭い。
カビの臭い。
尿の臭い。
タバコの臭い。
そして、死体の臭い。
これらは、似ているようで微妙に違う。
もちろん、「臭いソムリエ」になりたくて覚えたわけではない。
できれば覚えたくなかった。
「これは何の臭いでしょう?」
と聞かれて、
「三日前の魚です」
とか、
「これは死後二日くらいですね」
などと答える仕事に憧れていたわけでもない。
ただ、何件も現場を見ていると、嫌でも鼻が覚えてしまう。
職業病というやつだ。
寿司職人がシャリの違いに気づくようなもの……と言えば聞こえはいいが、こちらは死体の臭いである。
あまり格好のいい職人芸ではない。
今回の臭いは、明らかにそれだった。
ただし、かなり薄い。
強烈な臭気が残っているわけではない。
そこで、ひとつの可能性が頭に浮かんだ。
「亡くなってから、そう時間が経っていないうちに発見されたのではないか」
部屋の状態を見る限り、故人がここで生活していたことは間違いない。
そして、この臭い。
どう考えても、
「病院で亡くなった人の部屋」
ではない。
私は、故人はこの部屋で亡くなったのだろう、と確信した。
ところが、依頼者の説明は、
「病院で亡くなりました」
である。
さて。
困った。
別に、故人がどこで亡くなったかなんて、こちらには関係ない。
遺品を片付ける仕事なのだから、亡くなった場所を聞いて人間性を判断するつもりもない。
病院だろうが、自宅だろうが、施設だろうが、こちらの仕事は変わらない。
それなのに、なぜ嘘をつくのだろう。
理由はいくつか考えられる。
見積金額を少しでも安くしたかったのかもしれない。
あるいは、世間体。
「父が自宅で亡くなって、発見が遅れた」
という事実を、他人に知られたくなかったのかもしれない。
あるいは単純に、そういうことを業者に伝えるのが恥ずかしかったのかもしれない。
人間は、死んだ本人より、生きている遺族のほうが、いろいろなことを気にする。
当然と言えば当然だ。
私は部屋を見ながら、どうしたものかと考えた。
そして、つい口に出してしまった。
「失礼ですが……」
依頼者がこちらを見る。
「故人は、ここで亡くなってますよね?」
ストレートである。
我ながら、もう少し言い方というものがあるだろうと思う。
例えば、
「ひょっとすると、こちらでご逝去された可能性なども……」
とか。
「私の経験上、少し気になる臭いがございまして……」
とか。
もっと柔らかく言えばいい。
しかし、私は昔から、こういうところで妙に遠回しな言い方ができない。
「ここで亡くなってますよね?」
ほぼ尋問である。
警察でもないのに。
すると、女性は少し黙った。
そして、
「……はい」
と認めた。
やっぱり。
私は心の中で、
「でしょうね」
と思った。
ただ、ここで勝ち誇ってはいけない。
「やっぱり私の鼻は正しかった!」
などと喜んでいる場合ではない。
これはクイズ番組ではない。
正解しても賞金は出ない。
それどころか、目の前には、亡くなった父親の部屋を片付けなければならない娘さんがいる。
私は、少し話をした。
「別に、ここで亡くなったことを気にする必要はないですよ」
「病院で亡くなったと言ったことも、責めるつもりはありません」
「ただ、こういう仕事は、依頼者との信頼関係が大事なので、大きな嘘だけはつかないでください」
そんな話をした。
私たちの仕事は、単純に家具やゴミを運び出すだけではない。
亡くなった人の生活そのものを、一つずつ片付けていく。
写真。
手紙。
薬。
衣類。
通帳。
趣味の道具。
食器。
古い新聞。
冷蔵庫の中身。
テレビのリモコン。
よく分からないコード。
なぜか大量にあるビニール袋。
「これは何に使っていたんだろう?」
というものまで出てくる。
本人に聞けば一秒で解決することが、もう聞けない。
だから遺族に聞く。
遺族も分からない。
「父は、これを何に使っていたんでしょう?」
「……私にも分かりません」
そんな会話をしながら片付けることもある。
そして、そういう作業をする相手に対して、最初から何かを隠されると、こちらも困ってしまう。
別に、こちらは裁判官ではない。
「あなたのお父様は自宅で亡くなったので有罪!」
などと言うつもりはない。
そんな判決を出せるほど偉くもない。
そもそも、遺品整理業者にそんな権限はない。
だから、
「何も隠さなくていいですよ」
ということを伝えたかった。
私はさらに、
「亡くなった場所なんて、私たちは気にしませんから」
と伝えた。
本当にそう思っている。
考えてみれば、この仕事をしている人間が、
「ここで人が亡くなったんですか?」
と聞いて、
「はい」
と答えられた瞬間に、
「じゃあ、ちょっと無理です」
なんて言っていたら仕事にならない。
人が亡くなる場所に、いちいち驚いていたら、遺品整理なんてできない。
病院にも人生がある。
施設にも人生がある。
自宅にも人生がある。
そして、どこで亡くなったとしても、そこに残されるのは、その人が生きてきた証拠である。
私は、
「そんなこと、気にしなくて大丈夫です」
と話した。
すると、女性の表情が少し変わった。
最初に会ったときより、明らかに肩の力が抜けている。
おそらく、この女性自身も、誰かに責められると思っていたのかもしれない。
「なぜ病院だなんて嘘をついたんですか?」
と問い詰められると思っていたのかもしれない。
でも、そんなことを責めても仕方がない。
亡くなった人は、もう何も言わない。
だから、残された人が自分を責め続けても、状況が良くなるわけではない。
むしろ、片付けるべきなのは部屋だけではないのかもしれない。
遺族の心の中に溜まったものも、少しずつ片付けていく必要がある。
……なんて書くと、急に話がきれいになってしまう。
ちょっと嫌ですね。
「遺族の心の整理までお手伝いします」
なんて、求人広告みたいになってしまう。
私はカウンセラーではない。
ましてや聖人でもない。
仕事が終われば腹も減るし、疲れれば早く帰りたい。
重たい家具を運んだ日は腰も痛い。
「人の心を癒やす仕事です」
なんて言われたら、
「いや、主に冷蔵庫を運んでます」
と答えたくなる。
それでも。
実際にこういう現場に立っていると、物だけを運んでいるわけではない、と感じることがある。
遺品を一つ処分するたびに、
「ああ、この人はこれを使っていたんだな」
と思う。
古いジャケットが出てくれば、
「この服を着て、どこへ行ったんだろう」
と思う。
趣味の道具があれば、
「ずいぶん好きだったんだな」
と思う。
家族写真があれば、
「この頃は、みんな若かったんだな」
と思う。
そして最後には、それらを一つずつ部屋から出していく。
最初は物でいっぱいだった部屋が、少しずつ空っぽになっていく。
家具がなくなる。
衣類がなくなる。
生活用品がなくなる。
最後には、何もなくなる。
そこだけを見ると、寂しい仕事だと思う。
人が生きていた痕跡を、こちらの手で消していくのだから。
でも、私は最近、少し違う見方もするようになった。
物がなくなることと、その人がいなくなることは、同じではない。
部屋から家具が消えても、その人との思い出まで消えるわけではない。
写真を処分しても、写真に写っていた時間まで処分できるわけではない。
服を捨てても、その服を着ていた父親の姿まで消えるわけではない。
むしろ、物を片付けることで、ようやく遺族が「思い出」と向き合えるようになる場合もあるのだと思う。
物が多すぎると、人は前に進めない。
だから、誰かが代わりに片付ける。
そして、空いた部屋を見て、
「本当にいなくなったんだな」
と実感する。
それは寂しいことでもあるが、同時に、次へ進むための区切りでもある。
今回の女性とも、その後は特に問題なく仕事を進めることができた。
最初にあった、妙な緊張感もなくなった。
むしろ、途中からは普通に世間話をしながら作業をした。
人間というのは不思議なもので、最初に一つ本当のことを話してしまうと、その後はずいぶん楽になる。
「実はね……」
から始まる話が増えていく。
こちらも、
「そうだったんですか」
と聞く。
気づけば、最初に会ったときより、ずっと自然な関係になっている。
嘘を一つ取り除いたことで、仕事がしやすくなった。
まさに、
雨降って地固まる。
……ただ、できれば最初から雨を降らせないでいただけると、こちらとしては助かる。
見積りのたびに、
「これは何か裏があるな」
と推理小説の探偵みたいなことをしたくはない。
「犯人はこの部屋にいます!」
と言っている場合でもない。
こちらは名探偵ではなく、ただの遺品回収業者なのだから。
それでも、今回の件は私にとって、少し印象に残る現場だった。
故人がどこで亡くなったのか。
それは確かに事実としては重要なのかもしれない。
しかし、残された人にとって、それ以上に重要なのは、
「自分は父親をちゃんと送ることができたのか」
ということなのではないだろうか。
誰かに責められる必要なんてない。
完璧な見送り方なんてない。
亡くなった人との関係だって、人それぞれだ。
仲のいい親子もいれば、そうでもない親子もいる。
長い間会っていなかった人もいる。
最後に交わした言葉を後悔している人もいる。
もっと何かしてあげればよかったと思う人もいる。
逆に、
「正直、ホッとした」
という人だっているかもしれない。
人間関係は、きれいごとだけでは片付かない。
だから私は、遺品整理の仕事をしていて、
「ご遺族の心を癒やしてあげたい」
などと大それたことを考えているわけではない。
そんなことを言えるほど、自分が立派な人間だとも思っていない。
ただ、部屋に残された物を片付けて、遺族が少しでも肩の力を抜けるのなら、それでいい。
「これで、やっと部屋を片付けられます」
そう言ってもらえるだけでもいい。
「ありがとうございました」
と言ってもらえれば、それで十分だ。
今回、故人が生きていた物理的な形跡は、部屋からなくなった。
家具も、衣類も、生活用品も、少しずつ運び出されていった。
最後には、誰も住んでいない、何もない部屋になった。
でも、だからといって、その人の人生までなくなったわけではない。
物はなくなる。
部屋もなくなる。
住んでいた場所も、いつか誰か別の人が住む。
それでも、その人と一緒に過ごした時間は、遺族の中に残る。
私は、その「残るもの」のために、まず「残りすぎているもの」を片付ける仕事をしているのかもしれない。
……そう考えると、少しだけ、この仕事も悪くない。
もちろん、次の日にはまた別の現場で、重たいタンスを運んでいる。
感傷に浸っている暇などない。
「ちょっと手伝ってください!」
「これ、二人じゃないと無理です!」
「腰やったら労災ですよ!」
なんて言いながら、汗だくになっている。
結局、私がやっているのは、ものすごく現実的な仕事だ。
トラックに荷物を積み、部屋を空にする。
それだけだ。
でも、その「それだけ」の先に、遺族が少しだけ前を向ける瞬間があるのなら。
それでいいのだと思う。
故人が残した物をなくすことが、故人を忘れることではない。
むしろ、物を手放すことで、ようやく心の中に残っているものを大切にできることもある。
遺品を片付ける。
部屋を空にする。
そして、残された人が、自分の人生へ戻っていく。
私にできるのは、その途中で荷物を持つことくらいだ。
心の荷物まで全部持ってあげることはできない。
でも、せめて物理的な荷物くらいは持ちますよ。
何せ、それが私の仕事なので。





