特殊清掃「金魚すくい 」を更新いたしました。
金魚すくい
腐乱現場の仕事というと、多くの人は「遺体を片付ける仕事」と思っているらしい。
まぁ、間違ってはいない。
でも、正確には少し違う。
私たちが相手にしているのは「遺体」ではなく、その人が暮らしていた時間そのものだ。
除菌や消臭だけの依頼もあれば、家財一式の撤去だけということもある。
内装の解体まで頼まれることも珍しくない。
畳を剥がし、床板を交換し、壁紙を張り替え、最後には「ここで人が亡くなっていた」と誰も分からない部屋へ戻して引き渡す。
だから仕事が終わった頃には、部屋は新品同様になっている。
だが、その途中経過は決して新品同様ではない。
家具を運べば、冷蔵庫の裏からハエが飛び立つ。
タンスをどければ、そこにウジ虫の大移動が始まる。
慣れたとはいえ、「おお、今日は大漁だな」などと喜ぶ趣味は持ち合わせていない。
それでも毎日やっていれば、人間というのは恐ろしい生き物である。
ウジ虫を見ても昼飯は食えるし、腐敗臭を嗅ぎながら「今日は何弁当にしようかな」なんて考えている。
自分でも時々、「職業病って怖いな」と思う。
もっとも、この仕事を始めた頃は違った。
コンビニのおでんを見て吐き気を催し、白いご飯がウジ虫に見えたこともある。
そんな新人時代もあった。
今では刺身をつまみに晩酌できるまでになった。
進歩なのか退化なのかは分からない。
できれば人間としては前者だと思いたい。
そんなある日、一件の依頼が入った。
一人暮らしの男性。
病気がちで、近所付き合いも少なく、自宅で亡くなっていた。
発見された時には、すでに腐敗がかなり進んでいたという。
現場はごく普通の住宅街にある一軒家だった。
外から見れば何の変哲もない。
郵便受けにはチラシが溜まり、庭の雑草が少し伸びている程度。
知らなければ、「ちょっと留守なのかな」と思うくらいである。
だが、玄関の扉を開けると、空気が変わる。
腐敗臭というものは、鼻で嗅ぐというより、全身で浴びる感覚だ。
重たい。
湿っている。
肺の奥にまとわりつく。
防護服を着ていても、防毒マスクをしていても、それは防ぎきれない。
「よし、始めよう。」
誰ともなく声を掛け、黙々と作業が始まる。
現場では無駄話は少ない。
みんな、それぞれの持ち場で淡々と動く。
故人が倒れていたのはリビングだった。
フローリングの中央付近。
そこで時間が止まってしまったらしい。
その周囲には腐敗痕が広がり、家具や生活用品にも腐敗臭が染み込んでいる。
もう残せる物はほとんどない。
家電も家具も衣類も、本も食器も。
一つ一つ運び出していく。
アルバムが出てくる。
若い頃の笑顔。
旅行先の写真。
誰かと肩を組んで笑っている。
その「誰か」が今どこで何をしているのかは知らない。
現場では感傷に浸る暇はない。
写真を閉じ、箱へ入れ、また次の荷物を運ぶ。
故人が大切にしていた物でも、汚染されてしまえば処分せざるを得ない。
それが現実だった。
部屋は次第に広くなっていく。
ソファがなくなり、テレビがなくなり、本棚がなくなる。
生活の跡が少しずつ消えていく。
最後には、何もない空間だけが残る。
毎回思う。
人一人が何十年も生きても、片付け始めれば数時間で部屋は空っぽになる。
人生って、案外コンパクトなんだな、と。
作業も終盤に差しかかった頃だった。
ふと違和感を覚えた。
「あれ?」
リビングの隅に、水槽が並んでいる。
一つ。
二つ。
三つ。
さっきまで荷物に紛れて気にも留めていなかった。
近寄って覗き込む。
そして思わず声が出た。
「えっ……。」
金魚が泳いでいた。
しかも一匹ではない。
赤。
白。
黒。
模様の入ったものまでいる。
どの水槽にも数匹ずつ。
ゆっくりと尾びれを揺らしながら、何事もなかったように泳いでいる。
一瞬、自分の頭がおかしくなったのかと思った。
故人が亡くなってから、すでに何日も経っている。
電気は止まっている。
エアーポンプも動いていない。
当然、餌ももらっていない。
普通なら、とっくに全滅していても不思議ではない。
なのに。
こちらを見ている。
いや、正確には見られている気がした。
「……おせぇよ。」
そんな声が、水槽の中から聞こえたような気がした。
私は職業柄、いろいろな現場を見てきた。
人は亡くなる。
それは誰にでも訪れることで、特別珍しいことではない。
しかし、その亡くなり方によって、残されるものは大きく変わる。
特に孤独死の現場では、人がいなくなったあとも、時計だけは律儀に時を刻み続ける。
冷蔵庫は静かになり、テレビは沈黙し、部屋の空気だけが少しずつ重くなっていく。
人間がいなくなっても、部屋だけはしばらく「生活」をやめないのだ。
そして、その家にはもう一つ、生活を続けているものがあった。
三つの水槽。
その中を泳ぐ金魚たちである。
私は水槽を見つめながら、つい考えてしまった。
この子たちは、一体どんな日々を過ごしていたのだろう。
もちろん、本当のところは分からない。
金魚に聞いたわけでもない。
ただ、人間という生き物は勝手なもので、答えが分からないほど想像したくなる。
きっと故人は、この金魚たちを可愛がっていたのだろう。
水槽はどれもきれいに管理されていた。
餌をやり、水を替え、ガラスを磨き、病気になれば薬を入れたのかもしれない。
犬や猫のように散歩もいらない。
鳴いて近所迷惑になることもない。
病弱だった故人には、ちょうどいい家族だったのではないか。
水槽の中をゆっくり泳ぐ姿を眺めながら、一日の終わりを過ごしていた。
そんな光景が自然と頭に浮かんだ。
だからこそ、その日も金魚たちは、いつもと同じように餌の時間を待っていたのかもしれない。
ところが、その日は違った。
飼い主は立ち上がらない。
いつもの椅子にも座らない。
水槽の前にも来ない。
床に倒れたまま動かない。
最初は昼寝でもしていると思っただろう。
金魚に「死」という概念があるのかは知らない。
だが、「いつもと違う」ということくらいは感じ取ったはずだ。
しばらくすると、部屋の匂いが変わり始める。
見慣れない虫が現れる。
羽音が日に日に増えていく。
床では何かが起こっている。
人間なら目を背けたくなる光景でも、水槽の中の彼らには逃げ場がない。
ずっと見続けるしかない。
そして数日後。
エアーポンプの音が止まる。
それまで「ブクブクブク」と鳴っていた音が、突然消えた。
水面は静まり返る。
水は少しずつ淀み始める。
「あれ?」
と金魚が思ったかどうかは分からない。
でも、人間ならこう思う。
停電かな。
すぐ直るだろう。
ところが、一時間経っても。
一日経っても。
何も変わらない。
餌も来ない。
水も替わらない。
部屋は静まり返ったままだ。
もし金魚同士で会話ができたなら、こんな相談をしていたかもしれない。
「今日も来ないね。」
「寝坊かな。」
「ずいぶん長い昼寝だ。」
「……いや、これ昼寝じゃなくない?」
「じゃあ何?」
「知らない。でも、嫌な予感しかしない。」
「お腹すいた。」
「それしか考えてないのか。」
「金魚だから。」
そんな他愛もない会話をしていたら、少しは気が紛れただろうか。
だが、現実は容赦がない。
水の中の酸素は少しずつ減っていく。
空腹も限界に近づく。
それでも、生き物は簡単にはあきらめない。
口をぱくぱくさせながら、水面近くへ集まる。
少しでも酸素がある場所を探す。
生きたい。
その一心だったはずだ。
その頃、床の上では別の命が勢いよく増えていた。
ハエが飛び回り、ウジが生まれ、またハエになる。
皮肉なことに、一つの命が終わる場所で、無数の命が生まれていた。
自然とは、時に残酷なくらい平等だ。
誰かを特別扱いしない。
人間も金魚も虫も。
ただ「生きる」というルールの上にいるだけである。
だから私は、あの日の金魚たちを見て、不思議な気持ちになった。
人間は「孤独死」と呼ぶ。
けれど、本当に故人は一人だったのだろうか。
少なくとも、三つの水槽の中には、小さな命が最後まで故人のそばにいた。
言葉は交わせない。
手を握ることもできない。
救急車を呼ぶこともできない。
それでも彼らは逃げなかった。
いや、逃げられなかったと言うべきか。
最後まで同じ部屋で、同じ時間を過ごし続けた。
もしかすると、この家で最後まで故人を見送ったのは、親族でも友人でもなく、この金魚たちだったのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、私は一つの現実に気付いた。
この子たちは――
まだ、生きている。
「……生きてる。」
水槽を覗き込み、思わず口に出た。
何度見ても、生きている。
しかも一匹や二匹ではない。
三つの水槽に、それぞれ何匹もの金魚たちが元気とは言えないまでも、ちゃんと泳いでいる。
私は思わず周囲を見回した。
誰かに「当たり前じゃないですか」と言われそうな気がしたからだ。
しかし、現場には誰もいない。
いや、正確には作業員はいる。
だが、みんな黙々と片付けに集中している。
金魚どころではない。
「隊長、終わりました。」
「はい、お疲れさま。」
返事はしたものの、頭の中は金魚でいっぱいだった。
困った。
実に困った。
腐乱現場では、いろいろ困ることがある。
腐敗臭。
害虫。
近隣対応。
予想外の汚染。
だが、「生きた金魚」はマニュアルに載っていない。
いや、載せようもない。
「金魚が生き残っていた場合は落ち着いて対処してください。」
そんな項目を見たことがない。
私は水槽の前で腕を組んだ。
さて、どうする。
まず思い付くのは、そのまま置いて帰ること。
……却下。
依頼は家財をすべて撤去することだった。
水槽だけ残せば契約違反になる。
では、水槽ごと持って帰るか。
やってみれば分かる。
無理である。
三つとも九十センチ近い水槽。
水が入ったままなら、大人二人でも腰を痛める重さだ。
しかも車の荷室には、すでに回収した家財がぎっしり積まれている。
下手をすれば、冷蔵庫とタンスの間で金魚が引っ越しをする羽目になる。
そんなアトラクションは誰も望んでいない。
では、自宅で飼うか。
それも無理だ。
私は犬も猫も金魚も飼っていない。
仕事柄、家を空けることも多い。
助けたはいいが、結局また不幸にしてしまっては意味がない。
現実的ではなかった。
じゃあ、誰かにもらってもらう?
現場で急に、
「金魚いりませんか?」
と電話をかけ回るわけにもいかない。
八百屋で大根を勧めるのとは訳が違う。
第一、説明が難しい。
「どこから来た金魚?」
「ええ、腐乱現場から……」
その瞬間、電話は切られるだろう。
いや、私でも切る。
考えれば考えるほど、正解が見つからない。
ところが、不思議なもので、こういう時は選択肢が一つしか残らない。
助ける。
それだけだった。
私はビニール袋を取り出し、水槽の水を少し入れる。
一匹ずつ慎重に網ですくう。
金魚すくいなんて、何十年ぶりだろう。
子どもの頃から私は、とにかく下手だった。
縁日の屋台では、開始三秒で紙が破れる。
店のおじさんに、
「兄ちゃん、早かったねぇ。」
と慰められるレベルである。
景品として一匹もらえるのを狙った方が早いくらいだった。
ところが、この日は違った。
絶対に失敗できない。
一匹落としたら洒落にならない。
自分でも驚くほど慎重だった。
「頼むから暴れるな。」
「あと少し。」
「よし、入った。」
まるで救急搬送である。
全部の金魚を袋へ移し終えると、ようやく一息ついた。
……いや、まだ終わっていない。
ここからが本番だった。
私は金魚の入った袋を助手席に置こうとして、やめた。
シートベルトが締められない。
運転席の足元?
急ブレーキで転がる。
荷室?
論外である。
結局、一番安定する位置にタオルを敷き、その上へそっと寝かせた。
傍から見れば、赤ちゃんでも乗せているような慎重さだった。
信号待ちでは何度も振り返る。
「大丈夫か?」
もちろん返事はない。
だが、袋の中では小さな尾びれが揺れている。
少し安心した。
その日の私は、人生で一番安全運転だったと思う。
黄色信号?
もちろん止まる。
段差?
徐行。
カーブ?
いつもの半分の速度。
後ろの車は、さぞイライラしたことだろう。
事情を説明したら、たぶんもっと呆れただろうが。
向かった先は、とある公園だった。
以前から知っていた、大きな池がある。
車を止め、辺りを見回す。
幸い、人影はない。
私は袋を抱えて池のほとりまで歩いた。
「さて……。」
ここで少しだけ迷った。
本当にこれでいいのだろうか。
金魚を放すことが正しいのか。
法律は。
生態系は。
外来種は。
そんな知識が頭をよぎる。
今ならスマートフォンで調べただろう。
しかし、あの頃はそんな余裕もなかった。
このまま袋の中にいても、長くはもたない。
誰か引き取り手を探す時間もない。
目の前には水がある。
袋の中にも命がある。
私は、しばらく池を見つめてから、小さくつぶやいた。
「……生きろ。」
袋を傾ける。
ゆっくりと水が流れ出す。
一匹。
また一匹。
金魚たちは戸惑うように泳ぎ出し、それぞれ好きな方向へ散っていった。
振り返るものは一匹もいない。
それでいい。
恩返しなんて期待していない。
そもそも相手は金魚だ。
竜宮城へ招待されることもなければ、玉手箱ももらえない。
私は空になったビニール袋を畳みながら、ふと思った。
この子たちは、生き延びるだろうか。
それとも、また別の運命が待っているのだろうか。
答えは分からない。
でも、あの家で静かに命が尽きるよりは、少なくとも「生きる可能性」は残せた。
そう思うことにした。
仕事が終わる頃には、すっかり日も暮れていた。
「ああ、今日は疲れた。」
心の底からそう思った。
けれど、その日の疲れは、不思議と嫌な疲れではなかった。





