特殊清掃「ビーフシチュー」を更新いたしました。
ビーフシチュー
ビーフシチューが嫌いなわけではない。
むしろ、食べれば「うまいなぁ」と思う。
柔らかく煮込まれた牛肉に、濃厚なソース。ニンジンやジャガイモが入っていて、パンにつけても、ご飯と一緒でもおいしい。
ただ、滅多に食べない。
ましてや、こんな暑い季節に「今日はビーフシチューにしよう!」なんて、まず思わない。
暑い日に汗をかきながら熱々のシチューを食べるくらいなら、冷やし中華でも食べていたい。
ところが、そんな私にも、ビーフシチューを見るたびに思い出してしまう現場がある。
もう25年ほど前の話になる。
自分の中では、いまだに「伝説」として残っている現場だ。
武勇伝というほど立派なものではない。
どちらかと言えば、
「なぜ俺は、あの仕事を引き受けたんだ?」
と、25年経った今でも自分自身に問いかけたくなるような話である。
現場は、とあるマンションのユニットバスだった。
風呂とトイレが一体になっている、あのタイプ。
ただでさえ狭い空間に、浴槽、便器、洗面台などが配置されている。
しかも窓がない。
換気扇はあるものの、長時間そこにいるだけで息苦しく感じるような場所だ。
当時で既に数百件の特殊清掃案件を経験していた。
だから、多少のことでは驚かないつもりでいた。
しかし、その現場を初めて見たときは、さすがに言葉を失った。
「……なんで、ここまでになるまで発見されなかったんだ?」
それが最初の感想だった。
室内には、長期間にわたって放置された結果、床面に広がった大量の残留物があった。
状態は場所によって大きく異なり、液状に近いところもあれば、粘土のようにまとまっているところもある。
床一面がその残留物に覆われていて、ぱっと見ただけでは、どこからが本来の床なのか分からないほどだった。
ところどころには、状態の違う部分が盛り上がっている。
長い時間の経過によって、いろいろなものが複雑に変化してしまった結果だった。
そして、何とも言えない強烈な臭気。
そこに小さな生き物まで現れていた。
「いや……演出が過剰だろ」
心の中で、そんなことをつぶやいた。
もちろん、誰かに聞かせる余裕などない。
依頼者の希望は、実にシンプルだった。
「とにかく、きれいにしてほしい」
うん。
それは分かる。
分かるのだが、
「どうやったら、これがきれいになるんだ?」
というのが、こちらの本音だった。
依頼者は、ほかに頼める人がいないらしい。
藁にもすがるような物腰で、表情もすっかり弱っていた。
そんな姿を見ると、こちらも断りづらい。
私は昔から、依頼者に対して妙な使命感を持ってしまうところがある。
「この人が困っているなら、何とかしてやらなきゃ」
と思ってしまう。
今思えば、これは美徳というより、かなり厄介な職業病だったのかもしれない。
普通なら、
「これは難しいですね」
と断っても、誰も責めないだろう。
ところが私は、
「うーん……」
と考えた末、
「やるしかないか」
となってしまった。
作戦も何もない。
具体的な攻略法もない。
それでも引き受けた。
我ながら、ずいぶん無謀である。
ただし、条件はつけた。
「見た目をきれいにすることを最優先にします。ただ、臭いを完全になくすことは難しいです。それと、ある程度の日数がかかる可能性があります」
依頼者には、それを了承してもらった。
こうして、私とその現場との長い戦いが始まった。
作業初日は緊張した。
当然だ。
経験はあっても、現場は一つ一つ違う。
まして、これほど状態の進んだ場所はそうそうない。
細かい作業内容や使用した薬剤、器具、具体的な手順については、ここでは省略する。
今回書きたいのは技術論ではなく、その現場で私の精神状態がどうなっていったのか、という話だからだ。
とにかく、やってみる。
状態を見る。
方法を変える。
またやってみる。
そんなことを繰り返した。
最大の難関は、床面に広がった残留物を取り除く作業だった。
小さなスコップのような道具を使って、少しずつすくい取っていく。
これがなかなか大変だった。
場所によって状態が違う。
液体に近いところもあれば、ある程度まとまっているところもある。
うまくすくえるものもあれば、道具に乗せた途端に崩れてしまうものもある。
すくう。
バケツへ入れる。
いっぱいになったら外へ運ぶ。
袋へ移す。
戻る。
また、すくう。
この繰り返し。
作業そのものは単純なのだが、精神的には全然単純ではない。
汚れが身体につかないように注意しながら作業するため、どうしても無理な姿勢になる。
狭いユニットバスなので、身体を自由に動かせない。
腰は痛い。
足は疲れる。
汗は出る。
そして臭い。
何より、気持ちのいい仕事ではない。
「なんで俺は、こんな場所でこんな作業をしているんだ?」
何度そう思ったことか。
私は、気持ち悪いものを処理するとき、頭を空っぽにするタイプだった。
余計なことを考えない。
目の前の作業だけを見る。
手を動かす。
身体を動かす。
そうすれば何とかなる。
ところが、この現場はそれを許してくれなかった。
あまりにも異様なのだ。
「これは元々、普通の生活空間だったんだよな」
「今、自分は何をしているんだ?」
そんな考えが勝手に頭へ入り込んでくる。
思考を停止したいのに、脳が勝手に働く。
そして働きすぎた脳が、
「もう勘弁してくれ!」
と悲鳴を上げていた。
そんな作業をコツコツと続け、ようやく後半戦に入った。
「よし、先が見えてきたぞ」
そう思った。
しかし、今思えば、それは完全な油断だった。
床を見渡すと、ところどころに状態の異なる部分が残っている。
どうやら私は、無意識のうちにそこを避けていたらしい。
人間の防衛本能というのは、なかなか優秀である。
脳が、
「そこには、なるべく触らないほうがいい」
と判断していたのだろう。
しかし、当然ながら残して帰るわけにはいかない。
意を決して、その部分に道具を入れた。
感触は柔らかく、重さもあり、状態がかなり進んでいることが分かる。
さらに、その瞬間に臭気が強くなる。
「うっ……」
一瞬、意識が遠のきそうになった。
テレビのグルメ番組で、料理を食べたリポーターが、
「口の中でとろけます!」
などと表現することがある。
あの表現。
まったく違う場面なのだが、なぜか頭の中に浮かんできた。
「いやいや、今それを思い出すな!」
自分で自分にツッコミを入れた。
もちろん、ここに食べ物など存在しない。
完全に脳が疲れていたのだと思う。
作業対象をじっと見ていると、こちらの精神が先に負けそうになる。
私は視線を別のところへ向けながら、何とか作業を続けた。
「見るな」
「考えるな」
「手だけ動かせ」
自分にそう言い聞かせる。
何度か作業を続けた、そのときだった。
持ち上げた道具から、対象の一部が崩れ落ちた。
その中に、何か白っぽいものが見えた。
「……ん?」
目を凝らした。
細長い。
白っぽい。
しかも、妙に大きく見える。
私の脳内で瞬時に出た答えは、
「巨ウジ!」
だった。
いや、冷静に考えればおかしい。
そんなサイズのものが本当にいるのか?
でも、そのときの私は冷静ではなかった。
「ウジって、こんなに大きくなるのか!?」
「いや、普通はもっと早く次の段階に進むだろ!」
「じゃあ、これは何なんだ!?」
頭の中が一気にパニックになった。
私は思わず道具を手放した。
そして、その場から一度離れた。
全身に鳥肌が立った。
しばらく身体中が痒いような気がした。
頭の中では、
「何なんだ、あれは?」
という疑問がぐるぐる回っている。
仕事どころではない。
本気で、
「もう帰ろうかな……」
と思った。
しばらく、ブツブツと独り言を言いながら考えた。
「どうしよう……」
引き受けた仕事を途中で放り出すわけにはいかない。
それは分かっている。
でも、戻りたくない。
もう一度、あれを見る勇気が出てこない。
「適当な言い訳をして帰ろうか」
「いやいや、ダメだろ」
「でも、あれは怖いぞ」
「いや、仕事だろ」
「でも巨ウジだぞ」
「だから、本当に巨ウジなのか?」
一人で延々と会議をしていた。
議題は、
「目の前にある謎の物体から逃げるべきか」
である。
今なら笑える。
当時は笑えなかった。
気持ちを落ち着け、勇気を振り絞るまでに少々時間がかかった。
そして私は、自分に気合を入れた。
「俺は、泣く子も目をしかめる特掃隊長だ!」
……誰が決めたのかは知らない。
そんな肩書きが正式に存在したわけでもない。
しかし、そのときの私には必要だった。
「ヨッシャ!」
再び現場へ戻った。
放り出した道具を拾う。
そして、さっきの「巨ウジ」を見る。
おそるおそる、もう一度確認してみた。
すると、どうも様子がおかしい。
「……ん?」
よく見る。
近づいてみる。
やっぱり、何かがおかしい。
そこで、周囲の残留物を少しずつ取り除いてみた。
すると――
出てきたのは。
ウジではなかった。
石鹸だった。
「…………」
私はしばらく黙った。
そして心の中で叫んだ。
「石鹸かよ!」
まったく、不覚だった。
25年経った今でも、あのときの自分には言いたい。
「落ち着け」
と。
しかし、弁解するならば、あの現場は本当に精神的に厳しかった。
石鹸が異様な生き物に見えてしまうほど、私の感覚がおかしくなっていたのだろう。
私は、汚れにまみれていた石鹸を処理した。
「お前かよ……」
石鹸に対して、若干の恨みを感じた。
もちろん、石鹸に罪はない。
ただ、そこにいただけだ。
私が勝手に勘違いしただけ。
なのに妙に腹が立つ。
「お前のせいで、俺は悲鳴を上げたんだぞ」
理不尽極まりない。
もし石鹸に意思があったなら、
「いや、知らんがな」
と言いたかっただろう。
少し気を取り直して、作業を再開した。
相変わらず現場の状態は厳しい。
そこで私は、別のことを考えるようにした。
今日の晩飯は何にしよう。
明日は何をしよう。
仕事が終わったら何を飲もう。
そんなことを考えながら、手と身体だけを単調に動かす。
少しでも意識を別のところへ持っていかないと、精神的に参ってしまいそうだった。
ところが、ここで新たな問題が発生した。
急に腹が痛くなってきた。
最初は、
「ん?」
程度だった。
ところが、少しずつ痛みが強くなってきた。
「まさか……」
嫌な予感がした。
やがて、腹部の不調がはっきりしてきた。
「よりによって、こんな時に!」
誰に怒っているのか分からない。
自分の体調なのか。
現場なのか。
運命なのか。
とにかく困った。
しかも、これは我慢して何とかなるタイプではない。
自分の身体のことだから、それは自分が一番よく分かっている。
「まずい」
そう思った。
ここで問題になるのが、トイレだった。
いや。
正確には、トイレは目の前にある。
しかし、そのまま使える状態ではない。
私自身も作業用の装備を身につけている。
外へ出て、別のトイレを借りるという選択肢も簡単ではない。
そこで私は悩んだ。
どうする?
どうする俺?
人生最大級のピンチが、こんな形で訪れるとは思わなかった。
そして突然、頭の中にひらめいた。
「灯台下暗し!」
私は便器を見た。
「俺がいるところ、トイレじゃないか!」
そう。
私は今、トイレの中にいる。
まさに渡りに船。
いや、船というより便器そのものが目の前にある。
これほどトイレの存在をありがたいと思ったことはない。
ただし――
そのトイレが使える状態ではない。
結局、
「自分で掃除するしかない」
のである。
人生とは、なかなか思い通りにならない。
腹部の圧迫感は、どんどん強くなった。
身体から、
「もう時間がないぞ」
という警告が出ている。
私は便器を見た。
汚れている。
当然、掃除しなければならない。
しかし、
「汚れているから、あとでいい」
などと言っている場合ではない。
むしろ、
「今すぐ何とかしろ」
という状況だった。
それまで私は、
「依頼者のために、この現場をきれいにしよう」
という使命感で作業していた。
ところが、この瞬間から少し事情が変わった。
依頼者のためではない。
自分のためだ。
完全に自分のため。
「この便器を使える状態にしないと、俺の人生に新たな汚点が刻まれる」
それだけだった。
まさか特殊清掃の仕事をしていて、最後に自分自身の体調と時間との戦いになるとは思わなかった。
仕事に対する心構えがなっていなかったから、自業自得だったのかもしれない。
しかし、誰だって体調不良には勝てない。
職業意識も責任感も、腹具合の前では無力である。
ここから先は、あえて詳しく書かない。
というより、書かないほうがいい。
それまでの話だけでも十分に強烈なのに、さらに身体の事情を詳細に書き始めたら、このブログに別の意味で注意報が発令されてしまう。
読者の皆さんにも、
「そこまで聞きたくない」
と言われそうだ。
ただ、一つだけ言っておこう。
私はあのとき、
「人生最大級の汚点を残したのか?」
それとも、
「何とか無事に乗り切ったのか?」
その後どうなったのかについては、皆さんの想像にお任せしたい。
……と言えば聞こえはいい。
実際には、私の名誉のために黙っているだけである。
気が向いたら、いつか別の記事で書くかもしれない。
まあ、誰も興味ないだろうけど。
そんな騒ぎがありながらも、最終的には作業を続けた。
残留物を取り除く。
洗浄する。
処理する。
臭気をできる限り抑える。
少しずつ、できることを積み重ねる。
最初に見たときには、
「こんな場所、どうやってきれいにするんだ?」
と思った。
それが、少しずつ普通の浴室に近づいていく。
もちろん、完全に何もなかった状態へ戻るわけではない。
時間が必要な部分もある。
それでも、最初の状態を知っている自分からすれば、ずいぶん変わった。
何日もかけて作業を続け、ようやく終わりが見えてきたときには、正直ホッとした。
「終わった……」
達成感というより、解放感。
それが一番近かった。
そして、依頼者の表情が少しずつ変わっていくのを見て、
「引き受けてよかったのかな」
と思った。
偉そうなことを言うつもりはない。
私は誰かを救ったわけでもない。
世の中を良くしたわけでもない。
ただ、誰もやりたがらない仕事を引き受けて、困っている人のために、その場所をできる限り元の状態へ近づけただけだ。
それでも、
「ありがとうございました」
と言われると、
「ああ、やってよかったのかもしれないな」
とは思う。
たぶん、それくらいでいいのだと思う。
仕事を美談にするつもりはない。
まして、
「人のために身を粉にして働く俺、カッコいい」
なんてことを言いたいわけでもない。
実際には、
「怖い」
「臭い」
「帰りたい」
「石鹸怖い」
「腹が痛い」
そんなことばかり考えていた。
立派でもない。
清らかでもない。
むしろ、かなり情けない。
それでも、逃げずに最後までやった。
私にとっては、それだけで十分だったのだと思う。
あれから25年。
いろいろな現場を経験した。
もっと大変な現場もあった。
もっと臭い現場もあった。
もっと精神的に厳しい現場もあった。
それでも、あのユニットバスのことは妙に記憶に残っている。
床一面に広がった残留物。
強烈な臭気。
スコップ。
バケツ。
そして――
巨大な生き物だと思って悲鳴を上げた石鹸。
思い返すたびに、
「俺、あんなものに悲鳴を上げたんだよな」
と苦笑してしまう。
でも、あのときは本当に怖かった。
人間の感覚というのは面白い。
普段なら、
「これは石鹸だ」
と一瞬で判断できるものが、極限状態になると、とんでもないものに見えてしまう。
それほどまでに、あの現場は精神的に厳しかったということなのだろう。
そして、何より自分がその場でどれだけ追い詰められていたのかを、25年経った今でも思い出させてくれる。
だから私は、ビーフシチューを見ると、あの日のことを思い出す。
赤茶色の濃厚なソース。
柔らかく煮込まれた牛肉。
スプーンですくうと、ホロッと崩れる肉。
「口の中でとろける」
そんな料理の表現が、なぜかあの現場の記憶と結びついてしまった。
もちろん、ビーフシチューは食べ物だ。
あの日の現場とは何の関係もない。
料理にも、牛肉にも、何の罪もない。
分かっている。
分かっているのだが、
スプーンで肉を崩した瞬間、
「あ……」
と、あの日の記憶が蘇ることがある。
だから、私はビーフシチューを滅多に食べない。
嫌いだからではない。
むしろ、料理としては好きだ。
ただ、記憶というものは、ときどき妙なところでつながってしまう。
食欲と仕事の記憶。
料理と現場。
肉とスコップ。
そして、
石鹸と巨ウジ。
人生には、そんな妙な連想ゲームがあるらしい。
だから、しばらくは忘れておこう。
ビーフシチューのことも。
あのユニットバスのことも。
あの現場のことも。
そして何より――
石鹸ごときに悲鳴を上げた、25年前の自分のことも。
次にビーフシチューを食べる日まで。
全部、忘れることにする。
……たぶん、無理だけど。





