特殊清掃「冷たいヤツ」を更新いたしました。
冷たいヤツ
人の身体は、死んだ瞬間から腐敗を始める。
「死んだ瞬間から」という言い方をすると、何やら死神が時計を見ながら「はい、では腐敗スタートです」と合図を出しているようだが、実際にはそんな律儀なものではない。
生命活動が止まれば、身体の中では少しずつ、確実に変化が始まっていく。
死後1~2時間程度でも、すでに腐敗臭がするようなケースは珍しくない。
もちろん、すべての遺体が同じように変化するわけではない。気温、湿度、身体の状態、亡くなった場所、亡くなってからの時間、そしてどんな処置を施したか。
条件が違えば、腐敗の進み方もまるで違う。
ただ、こちらからすると、人体というものはずいぶんと正直だ。
生きている間は、化粧をして、服を着て、香水をつけて、髪を整えて、場合によっては高価な時計まで身につけて、「私はまだまだ大丈夫ですよ」という顔をしている。
ところが死んでしまえば、身体はそんな見栄を一切聞いてくれない。
静かに、そして淡々と、元の自然へ戻っていく。
その最初の変化を、私は何度も見てきた。
一般的には、遺体は腹部、つまり内臓のあたりから腐り始めると言われている。
私の実体験でも、それは間違っていない。
一見すると何ともなさそうな遺体でも、着衣を取ってみると、腹部が濃い緑色に変色していることがある。
初めて見る人なら、「緑色?」と思うだろう。
私も最初の頃は思った。
人間の身体というのは、死んだら青白くなるものだと思っていた。
ドラマや映画でも、死体といえば顔色が悪くて、ちょっと青白くて、静かに横たわっている。
ところが現実は、そんなに映画的ではない。
腹が緑になる。
しかも、その緑が少しずつ広がってくる。
「おいおい、身体まで季節外れのクリスマスツリーみたいになってきたぞ」
……などと冗談を言えるような場面ではないのだが、現場というものは、あまりにも同じことが続くと、人間の感覚のほうが少し麻痺してくる。
もちろん、遺体を前にして笑っているわけではない。
ただ、毎日のように「死」というものを扱っていると、いちいち感情を大きく揺らしていたら仕事にならない。
これは冷たいというより、仕事をするための距離感なのだと思う。
遺体が置かれる環境や、施される処置によって腐敗のスピードは大きく違ってくる。
だから、少しでも腐敗を遅らせるために手を尽くす。
それも我々の仕事の大きな役目だ。
遺体は火葬まで冷蔵されるのが一般的である。
霊安室の冷蔵庫で保管されることもあるが、それよりもドライアイスを使って冷やすことのほうが多い。
特に夏は大変だ。
冬場ならドライアイス10kg程度で充分なことも多い。
ところが今のような夏場になると、10kgでは足りない。
20kg、30kgと使うことも珍しくない。
つまり、それだけ遺体にとって「暖かい」というのは大敵なのである。
生きている人間にとっては、暖かいというのは基本的にありがたい。
冬の朝、布団の中が暖かければ幸せだ。
温泉に入って「はぁ~」となるのも幸せだ。
鍋を囲んで「あったまるねぇ」と言うのも幸せだ。
しかし、死体にとっては話が違う。
「暖かくて気持ちいいですね」
などと言っている場合ではない。
腐敗を進めるだけである。
人間、生きているときと死んでからでは、快適な温度の意味まで変わってしまう。
ところが、冷やせば冷やすほどいいのかというと、そう単純な話でもない。
身体が小さく、痩せている高齢者などは、ドライアイスを当て過ぎると全身が凍結してしまうことがある。
身体の大きさや状態、気温などを考えずにドライアイスを大量に使えば、当然そうなる。
全身がカチンコチンに凍った遺体は、かなり不自然だ。
頭だけを持ち上げようとしても、首が曲がらない。
身体ごと持ち上がってしまう。
生きている人間なら、こんな状態になれば大騒ぎである。
「ちょっと待ってください、首が動きません!」
となるところだが、亡くなった人は何も言わない。
ただ、こちらが持ち上げた方向に身体全体がついてくる。
その姿は、ある意味で「人間の身体って、こんなに固くなるのか」と驚かされる。
しかし、ここまで冷やせば腐敗のスピードをかなり抑えることができる。
問題は、その姿を遺族がどう見るかだ。
遺族の多くは、全身が硬くなっているのを見ると「死後硬直だ」と思う。
実際、死後硬直によって身体が硬くなることもある。
だから、すべてを細かく説明する必要があるとも限らない。
死後の身体に起こる変化を、ひとつひとつ正確に説明したところで、遺族にとって何か救いになるのかと言われれば、そうでもない。
「実は今、ドライアイスで凍っています」
と、わざわざ伝えたところで、
「そうですか、それは安心しました」
となるわけでもない。
むしろ、
「では、もう少し自然にしてください」
と言われるかもしれない。
しかし、少々自然に見えるようにして腐敗が進んでしまえば、それはそれで困る。
ここには、何とも微妙な判断がある。
少々腐ってしまうほうがいいのか。
それとも、少々冷やし過ぎるほうがいいのか。
仕事としては、もちろん腐敗を防ぐことを優先する。
しかし、遺族の心情を考えれば、見た目や触れたときの感触も無視できない。
「死んだ人間をどう保存するか」という仕事は、突き詰めれば「遺族が最後にどう記憶するか」という仕事でもある。
そこが難しい。
正解が一つではない。
そして、こうも暑いと、こちらまでドライアイスに当たりたくなる。
今年のような夏……いや、夏というものは毎年のように「今年は異常に暑い」と言っている気もする。
そのうち夏が普通になり、「今年は異常に涼しい」と言い出す日が来るのではないか。
そんな暑さの中で、若い頃、私は一度、あまりの暑さにドライアイス用の冷蔵庫へ頭を突っ込んだことがある。
「冷たい! 気持ちいい!」
そのときは本気でそう思った。
暑さに対して、あまりにも単純な発想だった。
頭を冷やせばいい。
実に合理的である。
ところが、すぐに先輩から首根っこをつかまれた。
「バカ野郎! 死にたいのか!」
ものすごい剣幕で怒鳴られた。
その瞬間、
「あ、これは涼み方としては間違っていたらしい」
と気づいた。
ドライアイスは二酸化炭素の塊である。
気化した二酸化炭素が充満した場所に頭を突っ込めば、酸素が不足して意識を失ったり、場合によっては命に関わる。
つまり私は、暑さから逃げるために、危うく「自分から遺体側へ寄っていく」という、何とも間抜けなことをしていたわけだ。
若さとは恐ろしい。
いや、若さというより無知が恐ろしい。
知らないということは、ときどき勇気と見分けがつかない。
そして、それから何十年も経って思う。
人間というのは、生きているときには体温を保つことに必死なのに、死んだ途端、今度は身体を冷やすことに必死になる。
生きている人間は「寒い、寒い」と言い、死んだ人間には「冷やせ、冷やせ」と言う。
同じ身体なのに、立場が変われば扱いがまるで違う。
何とも皮肉な話である。
それにしても、人間が死んだら腹から腐り始めるという事実を、私は妙に納得している。
もちろん、科学的な話としては内臓や腸内細菌など、いろいろな理由がある。
だが、私はそれとは別の意味で「そうだろうな」と思ってしまう。
人間というのは、腹の中にいろいろなものを抱えて生きている。
食べ物だけではない。
怒り、嫉妬、欲、見栄、打算、意地、恨み。
表ではニコニコしていても、腹の中では何を考えているかわからない。
「あの人、いい人ですよ」
と言いながら、腹の中では舌打ちしていることもある。
「私はそんなこと気にしません」
と言いながら、家に帰ってから三時間くらい気にしている人もいる。
「あなたのためを思って言っているのよ」
と言いながら、実は自分のためだったりすることもある。
人間の腹というものは、案外いろいろなものが詰まっている。
だから、死んだら腹から腐る。
そう考えると、妙に納得してしまうのだ。
もっとも、生きているうちから腹の中が腐っている人もいる。
むしろ、こちらのほうが厄介かもしれない。
身体が腐るなら、見ればわかる。
色が変わる。
臭いがする。
触ればわかる。
そして最後には火葬される。
ところが腹の中が腐っている人間は、見た目には案外わからない。
服も着ている。
髪も整っている。
笑顔まで見せる。
だから厄介だ。
しかも、こちらのほうは冷やしても腐敗を止められない。
ドライアイスを30kg使っても無理である。
冷蔵庫に入れてもダメ。
どんな高性能な霊安室でも対応できない。
そういう意味では、生きている人間のほうがよほど扱いに困る。
身体の腐敗なら、時間と温度の問題として対処できる。
しかし、人間性の腐敗となると、話が違う。
本人が生きている限り、本人だけではなく、周囲の人間まで巻き込んでしまう。
そして、そういう人ほど自分の腹の中が腐っていることに気づいていない。
あるいは、気づいていても「これくらい普通だ」と思っている。
人間というのは、便利な生き物である。
自分のことは、かなり都合よく解釈できる。
だから私は、「腹の中が腐っている」という言葉を、案外よくできた表現だと思っている。
腹黒い。
腹を探る。
腹を割って話す。
腹を決める。
腹に一物ある。
昔の人は、人間の本性がどこにあるのか、よくわかっていたのかもしれない。
結局、人間は腹で生きている。
そして死んだら、その腹から腐っていく。
そう考えると、人生というのはなかなか面白い。
生きている間は、できるだけ腹の中を腐らせないようにしたほうがいいのかもしれない。
ただし、何をもって「腐っている」とするのかは難しい。
多少の嫉妬もある。
多少の欲もある。
人を羨ましいと思うこともある。
腹を立てることもある。
そんなものまで全部なくしてしまったら、たぶん人間らしさまでなくなってしまう。
だから、多少は仕方がない。
腹の中に少しくらい黒いものがあってもいい。
問題は、それを熟成させすぎないことだ。
腐敗させないことだ。
そして、できれば人に向かって「私は腹の中まで真っ白です」などと自慢しないことだ。
そんな人ほど、ちょっと冷やしてみたら、案外すぐに緑色になっているかもしれない。
……まあ、もちろん、これは死体の話ではない。
生きている人間の話である。
死んだ身体は冷やせば腐敗を遅らせることができる。
では、生きている人間の腹の中はどうすればいいのか。
残念ながら、私にはまだ方法がわからない。
だからせめて、他人に「冷たいヤツ」と言われるくらいで済む人間でいたい。
本当に冷たい人間になってしまったら、ドライアイスでも何でもなく、誰も温めてくれなくなる。
そして最後には、誰からも触れられなくなる。
身体が冷たいのは、死んでからでいい。
生きているうちは、腹の中に多少の黒さを抱えていてもいいから、せめて人の手を冷たく振り払わない人間でいたい。
……などと、少し殊勝なことを書いてみたが、私は夏になると今でもドライアイスの冷蔵庫に頭を突っ込みたくなる。
もちろん、もうやらない。
先輩に怒鳴られるのが怖いからではない。
死にたくないからだ。
何より、死んでから腹から腐るのは、もう十分見てきた。
自分まで実演する必要はない。
それに、もし本当にそんなことをしたら、先輩からまた言われるだろう。
「バカ野郎! 死にたいのか!」
そのとき私は、こう答えたい。
「いや、暑かっただけです」
たぶん、それでは許してもらえない。
人間、死んでから冷たいのは仕方がない。
問題は、生きているうちから冷たいヤツにならないことだ。
腹の中が少々黒くてもいい。
少々腹黒くてもいい。
でも、完全に腐らせてしまう前に、ときどき風を通してやることだ。
誰かに謝る。
誰かに礼を言う。
くだらないことで笑う。
意地を張るのをやめる。
そして、たまには素直になる。
そうしておけば、少なくとも生きている間くらいは、ドライアイスのお世話にならずに済む。
人間の身体は、死んだ瞬間から腐り始める。
だからこそ、生きているうちは、まだ間に合う。
腹の中に何を抱えているかは、人それぞれ。
ただ、腐らせるのだけは、ほどほどに。
……そういう私は、今日も暑さに耐えながら、ドライアイスを運んでいる。
「暑いなあ」とぼやきながら。
そして、ほんの少しだけ思う。
やっぱり一個くらい、頭に乗せてみようかな、と。
いや、やめておこう。
もう若くない。
先輩も、もういない。
だから今度は誰も首根っこをつかんで止めてくれない。
それが一番怖い。





