特殊清掃「宝探し競争」を更新いたしました。
宝探し競争 【遺品整理 遺品買取 残置物撤去 相続 遺体臭 死臭消臭 特殊清掃】
特殊清掃の仕事をしていると、人の最期だけではなく、人間の本性を目の当たりにすることがある。
孤独死の現場で腐乱した状態で発見される故人は、やはり独居の方が圧倒的に多い。誰にも気づかれず、数日、数週間、時には数か月もの間、そのまま時間だけが過ぎてしまう。
もちろん例外もある。
以前にも書いたことがあるが、家族と同居していても発見が遅れるケースはあるし、配偶者や親族が同じ家にいながら異変に気づかなかったという、何とも言えない現場も存在する。
しかし、それでも大半は独居である。
誰にも看取られず、誰にも気づかれず、静かに人生の幕を閉じる。
そして、その静けさとは対照的に、発見後の現場は急に慌ただしくなる。
警察が来る。
消防が来る。
親族に連絡が入る。
管理会社や大家、不動産会社、そして私たち特殊清掃業者が集まる。
静まり返っていた部屋に、急に多くの人間が出入りするようになる。
そして、そこで始まるものがある。
私は勝手にそれを「宝探し競争」と呼んでいる。
人が亡くなると始まるレース
世の中には、大富豪でなくても、それなりの財産を持っている人が多い。
生命保険証券。
銀行の預金通帳。
キャッシュカード。
印鑑。
現金。
株式。
有価証券。
土地の権利書。
金やプラチナなどの貴金属。
ブランドバッグ。
高級腕時計。
最新のパソコン。
スマートフォン。
カメラ。
オーディオ機器。
骨董品。
趣味のコレクション。
一つひとつは決して大した金額ではなくても、積み重なれば決して小さくはない。
だからなのだろう。
生前は何年も連絡を取らなかった親族が、故人の死を知った途端、驚くほど素早く集まってくる。
「最後に会ったのは十年前です。」
「最近は付き合いがありませんでした。」
「正月も顔を合わせていません。」
そんな話をしていた人たちが、部屋に入ると同時に目の色を変える。
臭いなど気にしない。
床に体液が染み込んでいても構わない。
腐敗臭が充満していても平気だ。
簡易のビニールカッパを着込み、マスクを二重三重に着け、手袋を何枚も重ね、部屋中の引き出しという引き出しを開け始める。
押し入れ。
天袋。
仏壇。
金庫。
机の裏。
タンスの奥。
冷蔵庫の上。
本棚の隙間。
布団の下。
封筒という封筒を開き、書類という書類をめくり、財布やバッグの中まで確認していく。
その姿は、悲しみに暮れる遺族というより、「一番価値のある物を先に見つけた者勝ち」というゲームの参加者に見えてしまうことがある。
身内同士がライバルになる
不思議なもので、その瞬間から親族同士もライバルになる。
兄弟だから協力する。
親子だから譲り合う。
そんな空気は、あまり感じられない。
「あれは見た?」
「その引き出しは?」
「通帳は?」
「印鑑は?」
誰が先に見つけるか。
誰が管理するか。
誰が持ち帰るか。
言葉には出さなくても、部屋の空気がそう語っている。
時には、私が歩くだけで視線を感じることがある。
「業者が何か見つけたんじゃないか。」
「財布でも出てきたのではないか。」
そんな疑いの目を向けられることも珍しくない。
特殊清掃業者である私は、ただ作業をしているだけだ。
しかし、その場にいる全員が財産探しをしているような空気になると、私までその競争相手の一人として見られてしまうのである。
ハイエナとウジ
少しきつい表現になるが、そんな光景を見るたびに頭に浮かぶ動物がいる。
ハイエナである。
獲物が倒れるまで待ち、倒れた途端に一斉に群がる。
もちろん、本物のハイエナは自然界を生き抜くためにそうしているだけだ。
人間よりずっと正直なのかもしれない。
だから、本当はハイエナに失礼な例えなのだろう。
では、私は何なのか。
腐敗した現場で仕事をしている私の方が、見た目だけならウジ虫に近いのかもしれない。
苦笑いするしかない。
しかし、一つだけ違うと思っている。
私は故人から何かを奪うために現場へ行くのではない。
故人が残してしまった最後の現場を、人が再び生活できる場所へ戻すために行くのである。
御宝が汚宝になる瞬間
この仕事には、皮肉な場面がある。
苦労して探し当てた「御宝」が、「汚宝」になっていることだ。
ブランドバッグ。
高級腕時計。
財布。
現金。
ジュエリー。
それらが故人の体の近くにあれば、腐敗液が付着していることもある。
体液が染み込んでいることもある。
大量のウジが付着していることもある。
腐敗臭が染みついてしまっていることも珍しくない。
ついさっきまで必死に探していた人が、それを見た瞬間に手を止める。
表情が曇る。
「え……。」
そんな声が漏れる。
私は心の中で、少し意地悪なことを思ってしまう。
「ざまあ見ろ。」
もちろん口には出さない。
そんなことを言えば人として終わりだ。
だが、生前ほとんど顔も見せなかった人が、故人が亡くなった途端に財産だけを求めてやって来た姿を見ていると、そういう感情が湧いてしまうことがある。
私は聖人君子ではない。
だから、自分のそういう感情も否定しない。
「きれいにしてもらえませんか?」
さらに面白いことがある。
さっきまで宝物だった品物が汚れていると、今度は私に向かって言う。
「これ、きれいになりますか?」
「洗ってもらえませんか?」
「何とかしてください。」
私は答える。
「申し訳ありませんが、それはお受けできません。」
理由は単純である。
高級ブランド品を私が洗浄して壊したら責任が取れない。
時計なら内部まで腐敗液が入り込んでいるかもしれない。
バッグなら革が変色してしまうかもしれない。
ジュエリーでも素材によっては傷める。
それに何より、それは私が請け負った仕事ではない。
私の仕事は特殊清掃であって、高級ブランド品のクリーニング業ではない。
だから断る。
すると少し不満そうな顔をされる。
内心ではこう思ってしまう。
「宝探しに来たんだから、汚宝でも喜んで持って帰ればいいじゃないか。」
人は亡くなってから評価される
生前、ほとんど顔を見せなかった。
電話もしなかった。
介護もしなかった。
買い物にも付き添わなかった。
病院にも行かなかった。
しかし、亡くなった途端に現れる。
そして財産だけはしっかり持ち帰る。
もちろん、すべての遺族がそうだとは言わない。
故人を心から愛し、涙を流し、感謝しながら遺品を整理する人も大勢いる。
私はそんな家族も数え切れないほど見てきた。
だから決して「遺族は皆こうだ」と言うつもりはない。
ただ、残念ながら一定数、そういう人たちは存在する。
そして、その人たちは欲が強いだけではない。
猜疑心も強い。
他の兄弟を疑う。
親族を疑う。
私たち業者まで疑う。
「何か持っていくんじゃないか。」
そんな目で見られることもある。
そのたびに私は思う。
人を信用できなくなるほど、お金というものは人を変えてしまうのだろうか、と。
故人は何を思うのだろう
私は時々考える。
もし故人がこの光景を見ていたら、何を思うのだろう。
生前、一度も来なかった子ども。
連絡もしなかった兄弟。
何年も会わなかった親族。
そんな人たちが、自分の部屋をひっくり返して財産を探している。
喜ぶだろうか。
感謝するだろうか。
私はそうは思えない。
悔しい。
悲しい。
情けない。
そんな気持ちになるのではないだろうか。
もちろん、それも私の想像に過ぎない。
故人本人に聞くことはできない。
だから決めつけるつもりもない。
しかし、少なくとも私は、そういう光景を見て気持ちのいいものだとは思わない。
私は盗まない
時々、本気で聞かれることがある。
「現金があったらどうするんですか?」
「ブランド品を見つけたら?」
答えはいつも同じだ。
触らない。
勝手に持ち帰らない。
必要があれば依頼者へ報告する。
それだけである。
特殊清掃という仕事は、世間から見れば閉ざされた世界だ。
だからこそ、自分自身が一番気をつけなければならない。
一度でも信用を失えば終わる。
そして何より、自分自身の心まで汚したくない。
汚れるのは作業着だけで十分だ。
腐敗臭が体に染みつくことはある。
体液が飛ぶこともある。
ウジが服につくこともある。
それは仕事だから仕方がない。
しかし、人としての誇りまで腐らせる必要はない。
私は、故人が残した部屋を片付ける仕事をしている。
故人が残した財産を持ち帰る仕事ではない。
人間らしいからこそ、醜い
特殊清掃を続けていると、人間はきれいごとだけでは生きられない生き物だと痛感する。
欲もある。
嫉妬もある。
疑いもある。
だからこそ、あの「宝探し競争」が生まれる。
それを見て私は腹が立つこともある。
呆れることもある。
皮肉を言いたくなることもある。
だが、それもまた人間なのだろう。
私自身も完璧ではない。
心の中で「ざまあ見ろ」と思ってしまうこともある。
だから、自分だけを正義の側に置くつもりはない。
特殊清掃という仕事は、腐敗した部屋をきれいにする仕事であると同時に、人間という生き物の光と影を見続ける仕事でもある。
現場には腐敗臭だけでなく、人間の欲望や後悔、愛情や罪悪感まで漂っている。
私は今日もその空気の中で作業をする。
ほうきと雑巾を持ちながら、人間という生き物は何と愚かで、何と愛おしい存在なのだろうと考える。
そして作業を終えて部屋を出るたびに、同じことを自分に言い聞かせる。
「汚い仕事をしていても、心まで汚してはいけない。」
それだけは、この仕事を続ける限り守り続けたいと思っている。





