特殊清掃「脱帽 」を更新いたしました。
脱帽
老朽化したアパートの一室で、腐乱死体が発見された。
私が現場に駆けつけたときには、すでに遺体は警察によって搬出され、火葬を待っている段階だった。
亡くなったのは中年の男性。
身寄りはそれほど多くなく、遺族と呼べるのは兄弟くらいしかいないらしい。
部屋の中には、まだ強烈な死臭が残っている。遺体そのものはなくなっていても、腐敗の痕跡というのは、そう簡単には消えてくれない。
警察が遺体を運び出したからといって、
「はい、これで普通の部屋に戻りました」
とはならない。
むしろ、ここからが我々の仕事である。
ただし、この日は少し事情が違った。
遺族がまだ到着していなかったので、部屋には勝手に入らず、到着を待ってから作業内容を確認することになっていた。
部屋の外に立っているだけでも、だいたい中の様子は想像できた。
窓には、無数のハエが貼り付いている。
ガラスの内側にも外側にも、黒い点がびっしり。
窓そのものが、巨大なハエ取り紙になっているような状態だった。
特殊清掃の仕事をしていると、現場を見る前に「だいたい分かる」ということがある。
この窓を見て、
「ああ、なるほど。中はそういう感じね」
と、妙に納得してしまう自分がいる。
普通の人なら、
「うわ……」
で終わるところだが、こちらは職業柄、
「うわ……かなりいってるな」
と、程度問題として見てしまう。
これも一種の職業病だと思う。
しばらくすると、遺族が到着した。
東北地方の某県から、わざわざやって来た兄弟たちだった。
話す言葉はかなりの東北弁。
もちろん、東北弁そのものが悪いわけではない。
ただ、私には聞き取るのがなかなか難しい。
こちらが、
「すみません、もう一度お願いします」
と聞き返すと、今度は少しゆっくり話してくれる。
ところが、ゆっくりになっただけで、方言が標準語になるわけではない。
結局、
「たぶん、こういう意味だろう」
という推理力が必要になる。
特殊清掃に来たはずなのに、最初から軽い言語学習が始まっていた。
そして、いよいよ部屋に入ることになった。
私は、
「だいぶ臭いはずですから、気をつけて下さい」
と声をかけた。
もちろん、「気をつける」と言っても、臭いに対してできることは限られている。
鼻をつまむくらいしかない。
臭いというものは、こちらの注意力とは無関係に鼻へ飛び込んでくる。
ドアを開ける。
その瞬間、いつもの悪臭が押し寄せてきた。
腐敗臭。
ハエ。
そして、汚染された場所にはウジ。
特殊清掃の人間にとっても、決して「いい匂い」ではない。
むしろ、これを「いい匂い」と感じるようになったら、私はこの仕事を辞めたほうがいい。
ところが、その後だった。
遺族の一人が部屋の中を見渡しながら、
「大して臭くないでねぇか」
と言った。
私は一瞬、聞き間違いかと思った。
いや、臭い。
かなり臭い。
私の鼻がおかしくなったのかと思って、念のためもう一度空気を吸ってみた。
やっぱり臭い。
むしろ、さっきより臭い。
ところが遺族たちは、そんなことを気にする様子もなく、私を追い越してズカズカと部屋の中へ入っていった。
「えっ?」
と思った。
普通、こういう現場で初めて部屋に入る遺族というのは、かなり慎重になる。
私の背中に隠れるようにして、
「どこまで入っていいですか?」
と聞く人もいる。
玄関から先に進めず、外で待っている人もいる。
中には、ドアを開けた瞬間に顔を背けてしまう人もいる。
それが普通だと思っていた。
ところが、この兄弟たちは違った。
まるで実家の物置に入るような気軽さで、部屋の奥へ進んでいく。
私は後ろから、
「いや、そこ……」
と言いかけた。
しかし、もう遅い。
完全に私の出番がない。
さらに驚いたのは、その後だった。
腐敗液が染み込んだカーペットを、素手でめくり始めたのである。
「ちょっと待ってください」
と思った。
カーペットの下の畳の状態を確認している。
確認すること自体は分かる。
問題は、その手である。
素手だ。
手袋をしていない。
しかも、その周辺にはウジがいる。
ハエもいる。
普通なら、少なくとも、
「これは触らないほうがいいですよ」
と言いたくなる。
しかし、こちらが止める間もなく、家財道具を次々と触っていく。
「これは使える」
「これも持って帰れる」
「まだ使えるものがたくさんある」
そんな会話が飛び交う。
こちらとしては、
「いや、使えるかどうかの前に、まず衛生面を……」
と言いたくなる。
しかし、相手の勢いがすごい。
何というか、生命力が違う。
私が特殊清掃業者として何年もかけて身につけた「この現場ではこう動く」という感覚を、ものすごい勢いで追い越していく。
そして、極めつけが、
「田舎に帰らないといけないから、あまり長居はできない」
だった。
こちらは、
「いやいや、長居するかどうか以前に、そんなに普通に作業できるんですか?」
という気持ちである。
しかし本人たちはいたって普通。
腐敗液も、ウジも、ハエも、悪臭も、ほとんど気にしていない。
マスクなし。
手袋なし。
普段着。
完全装備なのは、むしろ私のほうだった。
私は特殊清掃業者なのだから、本来ならこちらが現場の主導権を握っているはずである。
ところが、この日は違った。
遺族が現場監督。
私は見学者。
立場が逆転している。
呼ばれて来たのはいいが、私に何を頼みたいのかが、まだハッキリしない。
荷物を撤去したいのか。
消臭したいのか。
汚染部分を処理したいのか。
部屋全体を清掃したいのか。
それによって作業内容も金額も大きく変わる。
しかし、その前に遺族自身がどんどん片付けている。
正直なところ、
「この人たちだったら、私の作業はいらないんじゃないか」
と思った。
結局、その日は一度引き上げることにした。
依頼内容が固まったら、改めて見積もりに来ることになった。
そして数日後。
連絡が入った。
再び現場へ向かう。
ドアを開けると、前回とは景色が違っていた。
荷物が、ほとんどなくなっている。
きれいに……と言うと少し語弊があるが、とにかく大量の荷物がまとめられていた。
どうやら兄弟たちは、あれからかなりの荷物を持ち帰ったらしい。
理由は、
「まだ使える」
「捨てるのはもったいない」
というものだった。
物を大切にする。
それ自体は、とてもいいことだと思う。
使えるものを簡単に捨てない。
まだ使える家具や生活用品を再利用する。
今の時代、むしろ見習うべき価値観なのかもしれない。
ただし。
この現場の場合、少々話が違う。
「それ、どこに置いてあったか分かってます?」
と聞きたくなる。
腐敗液が付着していた可能性がある。
ハエがたかっていた。
ウジが這っていた。
そういう環境にあった物を、
「まだ使えるから」
という理由で持ち帰る。
その潔さには、もう何も言えない。
私だったら、たとえ新品同様のテレビが置いてあったとしても、かなり悩む。
おそらく三秒くらい悩んで、
「……いらないです」
となる。
ところが、この人たちは違う。
「もったいない」
の一言で突破してしまう。
人間の感覚というのは、本当に面白い。
同じ部屋を見ても、
ある人には「触れることすら避けたい場所」であり、
別の人には「まだ使える物が残っている部屋」なのだ。
どちらが正しいという話でもないのだろう。
ただ、私には前者の感覚しかなかった。
そして、荷物の問題が片付いたところで、今度は別の問題が持ち上がった。
大家さんである。
大家さんは、当然ながら部屋を次の入居者に貸したい。
そのためには、殺菌、消臭、汚染箇所の処理など、かなりしっかりした復旧作業が必要だと考えていた。
一方、遺族側は、
「荷物を全部出したんだから、それで十分だろう」
という考えだった。
両者の意見が真っ向から対立した。
大家さんとしては当然である。
誰が好き好んで、腐乱死体が発見された部屋に住むだろう。
しかも、単なる孤独死ではなく、実際に腐敗が進み、強い臭気や汚染が発生していた部屋である。
次の入居者が部屋を見て、
「前の人が亡くなったんですね。全然気にしません。今日からお願いします」
となれば話は早い。
しかし、現実はそんなに甘くない。
人は「事故物件」という言葉だけでも気にする。
そこへ「腐敗液」「ウジ」「ハエ」「強烈な臭い」といった具体的な情報が加われば、なおさらである。
大家さんとしては、できる限り元の状態に戻したい。
その気持ちは当然だった。
ところが遺族は、
「このくらいの臭いは平気だ」
「ウジやハエなんて、普段だってそこら中にいる」
と言う。
私はその会話を聞きながら、
「そうですか……」
としか言えなかった。
心の中では、
「普段、どんなところで暮らしているんですか?」
と聞きたかった。
もちろん、生活環境は人それぞれだ。
田舎と都会では、虫との距離感も違う。
家の中に虫が入ってくることだってある。
ハエを見ることもある。
だから、そういう意味で「ハエくらい平気」という感覚自体は、理解できなくもない。
ただ、今回のハエはちょっと違う。
普通のハエではない。
「窓に数匹いました」という話ではない。
「この部屋、ハエが住民票を取ってるんじゃないか」
と思うくらいの数である。
ウジにしてもそうだ。
家庭菜園で小さな虫を見つけて、
「まあ、虫だからね」
というのと、腐敗した汚染箇所を大量のウジが這っているのとでは、同じ「虫」というカテゴリーに入れるには無理がある。
とはいえ、遺族に悪意があったわけではない。
むしろ、自分たちにとって大切な兄弟の部屋なのだ。
そこに残された物をできるだけ捨てずに持ち帰りたい。
遠方から来ているから、何度も足を運びたくない。
お金もできるだけかけたくない。
そう考えるのは、ある意味で自然なのだと思う。
大家さんにも大家さんの事情がある。
遺族にも遺族の事情がある。
そして私は、その間に立つことになった。
大家さんからすれば、
「専門家として、こちらの主張を支持してほしい」
という気持ちがあったのだろう。
しかし、私はどちらかの味方になるつもりはなかった。
専門家として聞かれたので、
「衛生面や消臭、今後の入居を考えれば、大家さん側の考え方が妥当だと思います」
と答えた。
これは遺族を責めたいからではない。
単純に、腐敗死体が発見された部屋を次の人に貸すのであれば、それなりの処置が必要だからである。
とはいえ、大家さんと遺族の争いにまで深入りするつもりはなかった。
特殊清掃業者として呼ばれたのであって、法廷闘争の代理人として呼ばれたわけではない。
そこまで仕事を広げると、特殊清掃から特殊裁判へ業種変更しなければならなくなる。
結局、私が行ったのは、不要品の撤去と簡単な消臭作業だった。
大家さんは、もっとしっかりやってほしそうだった。
遺族は、それ以上は必要ないという。
私はその間で、
「では、ここまでで……」
と作業を終えた。
そして、そそくさと退散した。
長居は禁物である。
現場の臭いだけならまだいい。
大家さん対遺族という、人間同士の臭い争いにまで巻き込まれるのは避けたい。
それにしても、今でも思い出す。
特殊清掃を本業としている私が、
「この人たち、すごいな……」
と本気で思った遺族だった。
普通、腐乱現場を見れば動けなくなる。
臭いだけで気分が悪くなる。
ウジを見れば後ずさりする。
腐敗液が付いたカーペットなど、素手で触ろうとは思わない。
ところが、あの兄弟たちは違った。
「まだ使える」
「もったいない」
という気持ちが、臭いや虫への嫌悪感を上回っていた。
それは、私にはない強さだった。
もちろん、衛生面を考えれば、決して真似を勧められる行動ではない。
腐敗現場では感染症などのリスクもあるので、本来なら適切な防護具を使うべきだ。
しかし、それとは別に、人間の「慣れ」というものの強さには驚かされた。
我々特殊清掃業者は、一般の人よりもこうした現場に慣れている。
だから多少の臭いや汚染には耐えられる。
そう思っていた。
ところが、上には上がいた。
私は仕事柄、かなりの現場を見てきたつもりだった。
しかし、この兄弟たちを見て、
「まだまだ修行が足りないな」
と思った。
何に対する修行なのかは、自分でもよく分からない。
特殊清掃の技術なのか。
精神力なのか。
それとも「もったいない精神」なのか。
いずれにしても、あの現場では完全に負けた。
こちらは防護服にマスク、手袋。
向こうは普段着に素手。
こちらは臭いを警戒しながら慎重に歩く。
向こうは「これは使える」と言いながら、家具を運び出す。
こちらが専門家として消臭を考えている横で、向こうは生活用品の再利用を考えている。
あのときの私は、特殊清掃業者というより、ただの見学者だった。
そして最後に残った感想は、ただ一つ。
脱帽である。
もちろん、衛生面では決してお勧めできない。
しかし、あの状況であれだけ動ける精神力には、正直、頭が下がった。
人間、どんな環境にも慣れるものなのかもしれない。
そして世の中には、私が「これはかなりキツい」と思う現場を、
「大して臭くない」
と言って片付けてしまう人たちもいる。
特殊清掃をしている私が言うのも何だが、
世の中は広い。
そして、強者はどこにでもいる。
あの兄弟たちには、今でもそう思う。
脱帽。





