特殊清掃「人間のクズ」を更新いたしました。
人間のクズ
この季節になると、朝夕には鈴虫の声が聞こえるようになってきた。
昼間はまだ蝉が威勢よく鳴いている。
あれだけ暑苦しく鳴いていた蝉も、そろそろ交代の時期なのだろう。
蝉は種類にもよるらしいが、幼虫の期間を数年間、土の中で過ごし、地上に出てからは短い命を燃やす。
「地上に出てから一週間ほどしか生きられない」
そんな話を聞くたびに、蝉もなかなか大変だなと思う。
何年も陽の当たらない地下で暮らして、ようやく地上へ出てきたと思ったら、あっという間に最期がやってくる。
そう考えると、蝉の一生には、私と重なる部分がないでもない。
今の私は、どちらかというと陽の当たらない場所で生きている。
地下生活の蝉に比べれば、雨風も日光も浴びているので、完全な地下生活とは言えないけれど、人生という大きな括りで考えれば、たいして明るい場所にいるわけではない。
それでも、もしかしたらいつか、陽の当たる明るい日が来るのかもしれない。
ただし、仮にそんな日が来たとしても、
「まあ、長続きはしないだろうな」
くらいに思っておいた方がいい。
人生には期待しすぎない方がいい。
期待すると、人生の方も、
「そんなに期待されても困ります」
と迷惑そうな顔をする。
蝉だって、地上に出てから一週間ほどしかないのだから、人間だけが永遠の幸福を要求するのも虫のいい話である。
……そんなことを考えていた頃、特掃の依頼が入った。
現場は古い一戸建て。
家の中には、長年そこに住み続けた人の生活用品が、埃をかぶったまま山積みになっていた。
生活用品といえば聞こえはいいが、まあ、簡単に言えばゴミである。
ただ、他人の家のゴミというものは、なぜか簡単に「ゴミ」とは呼びにくい。
そこには、その人が使っていた時間が染み込んでいるからだ。
もっとも、だからといって埃をかぶった健康器具や古い布団、正体不明の段ボール箱を見て、
「これは故人の人生そのものですね」
などと感傷に浸っている暇はない。
片付けるものは片付ける。
仕事とは、そういうものである。
昼間だというのに家の中は薄暗く、湿っぽい。
窓から入る光も弱く、家全体が長いこと外界から取り残されていたような感じだった。
どことなく不気味な雰囲気もある。
こういう現場に入る時、私はいつものように誰に言うでもなく、
「失礼しま~す」
と言って奥へ進む。
誰もいない。
当然である。
でも、何となく言ってしまう。
ひょっとすると、そこにいるかもしれない人に対する挨拶なのかもしれないし、自分自身に対する掛け声なのかもしれない。
あるいは単純に、
「これから結構なものを見ますよ」
と自分の心に予告しているだけなのかもしれない。
今回の汚染場所は、家の奥にある和室だった。
そこに敷かれていた布団は、すっかり変わり果てていた。
いわゆる汚腐団。
その表面は、例の木屑のような茶色い粉に覆われている。
私は以前から、この木屑のようなものを「腐敗屑」と呼んでいる。
所々には小さな山までできていた。
事前に、
「死後2~3ヶ月経過」
「遺体は白骨化」
と聞いていたので、ある程度の状況は想定していた。
だから、現場を見て、
「うわっ、想像以上だ」
という感じではなかった。
むしろ、
「なるほど、こうなったか」
という感じだった。
死体というものは、時間が経てば変化する。
それは当たり前のことなのだが、実際に目の前でその過程の一部を見ると、人間というものが思っているほど頑丈な存在ではないことを思い知らされる。
生きている時は、
「私は人間です」
という顔をしている。
服を着て、飯を食って、仕事をして、他人と話をして、時には偉そうなことも言う。
ところが死んで、時間が経つと、
「はい、ここから分解します」
となる。
人間側に拒否権はない。
実に公平である。
周辺にはウジの死骸が無数に散乱していた。
ハエの死骸は、それほど多くない。
以前にも書いたが、ウジの死骸というものは、乾燥するとサクサクしている。
もちろん食べたことはない。
食べたことはないが、見た感じは菓子のようである。
具体的に言うなら、柿の種と米菓子を掛け合わせたような感じ。
分かるだろうか。
いや、分からなくてもいい。
分かってしまったら、こちら側の人間である。
私はそのウジの死骸を、
サクッ、サクッ……
と踏みながら、さらに汚染箇所へ近づいていった。
普通の人なら、
「気持ち悪い」
となるところだろう。
私も気持ち悪いと思う。
ただ、仕事をしているうちに、気持ち悪さにもある程度の耐性ができてくる。
そして、この仕事を長くやっていると、
「気持ち悪い」
より先に、
「これは何だ?」
という疑問が出てくるようになる。
今回もそうだった。
腐敗屑の中で、何かが動いている。
シャワシャワ、ワサワサ……。
最初は気のせいかと思った。
しかし、よく見ると、かなりの数がいる。
「ん?」
私は少し顔を近づけた。
さらに近づく。
すると、腐敗屑の中から無数の小さな虫が姿を現した。
見たことのない虫だった。
少なくとも私には名前が分からない。
腐敗痕の上を、腐敗屑と混ざり合いながら、ワサワサ、シャワシャワと動いている。
「何だろう、この虫は……」
私はしばらく眺めていた。
「ウジ・ハエを前座に、真打登場か?」
そんなことを考えた。
普通なら「うわ、気持ち悪い」と顔をしかめるところだろう。
しかし私の場合、なぜか興味の方が勝ってしまった。
子供がカブト虫を見つけた時と同じような気分だった。
「おお、何だこいつ?」
と目を輝かせていた……のかもしれない。
ただし、場所が場所である。
夏休みの昆虫採集なら微笑ましいが、ここは孤独死の現場である。
カブト虫なら、
「お父さん、見て!」
と言える。
今回の虫なら、
「お父さん、見て!」
とは絶対に言えない。
お父さんも困る。
私だって困る。
結局、その虫が何という種類なのか、何のためにここにいるのか、何を食べているのか、何をしているのか、さっぱり分からなかった。
分からないものをずっと眺めていても仕方がない。
私は見積作業に入った。
特掃の作業は翌日になった。
翌日、改めて現場に入る。
特掃というのは、ウェットな現場が多い。
腐敗液、腐敗粘土、体液、その他いろいろ。
そのため、乾いた汚染箇所を片付けるというのは、私にとって少し新鮮だった。
何より、作業がしやすい。
腐敗屑は、腐敗液や腐敗粘土と違って、簡単にすくい取ることができる。
スコップですくって、
サラサラ……
と汚物袋へ入れていく。
何とも言えない爽快感がある。
汚染物を、
「サラサラ~」
と片付けられるのはありがたい。
気のせいか、熟成された腐敗臭も前日より柔らかく感じられた。
鼻も慣れたのだろう。
人間の感覚というものは、なかなか図太い。
最初は、
「これはキツいな」
と思っていた臭いでも、しばらくすると、
「まあ、こんなもんか」
となってくる。
慣れというのは恐ろしい。
私は、あの得体の知れない虫たちも、腐敗屑と一緒にすくい取った。
シャベルですくって、
サラサラ。
汚物袋へ、
ポイ。
あれだけ興味深く観察していた虫たちも、最終的には腐敗屑と一緒に袋の中である。
人生とは厳しい。
昨日まで私の目を楽しませてくれた昆虫たちに、
「じゃあ、そろそろ片付けますね」
などと言っている場合ではない。
仕事だから仕方がない。
腐敗屑には頭髪が絡み合っていた。
茶色い粉の中に、ところどころ黒い髪の毛が混ざっている。
その瞬間、
「これ、元は人間だったんだよな」
と、改めて思う。
人間だったものが、時間をかけて分解され、乾燥し、細かくなっていく。
そして最後には、髪の毛と粉のようなものだけが残る。
人間というのも、ずいぶん儚い。
生きている間は、
「あれが欲しい」
「これが嫌だ」
「俺はこういう人間だ」
「私はこんな人生を送ってきた」
などと、いろいろ主張する。
ところが死んでしまえば、そんな主張もできない。
何年生きようが、どんな肩書きを持とうが、最後には腐る。
腐って、虫に食われて、乾いて、屑になる。
なんとも身も蓋もない話である。
しかし私は、こういう身も蓋もないところが、案外嫌いではない。
人間は死んだら平等だ、などという綺麗な言葉がある。
本当に平等かどうかは知らない。
ただ、腐敗に関しては、かなり平等だと思う。
金持ちだから腐らないわけでもない。
偉い人だからハエが遠慮するわけでもない。
肩書きが立派だから虫が、
「これは先生ですから、ちょっと遠慮しましょう」
などと言ってくれるわけでもない。
人間である以上、条件はほぼ同じ。
最後には自然界のシステムに組み込まれる。
そう考えると、少し気が楽になる。
今回の畳や床板も、当然ながらバッチリ汚染されていた。
腐ってしまったものは撤去するしかない。
しかし、これも乾いているので作業はしやすい。
剥がして、運んで、袋に入れる。
一つずつ片付けていくうちに、和室は少しずつ元の姿を取り戻していった。
そして、作業は無事に終了した。
帰り道、私はふと思った。
人間も、腐って虫に食われれば屑になる。
あれほど「人間」という形をしていたものが、最後には粉のようになってしまう。
そして、その屑は袋に入れられ、運ばれていく。
場合によっては風に吹かれて飛んでいく。
なんともあっけない。
でも、それでいいのかもしれない。
人間は、生きている間にいろいろなものを背負い込む。
仕事、金、見栄、プライド、人間関係、過去、未来。
死ぬ時くらい、それら全部を置いていってもいいだろう。
むしろ、死んだ後まで、
「これは私の大切なものですから」
と持っていこうとする方が欲張りである。
現在の埋葬法では、なかなか難しい相談なのだろうが、私自身が死体になった時には、できることなら焼かないで、自然の腐敗に任せてもらいたいと思っている。
虫にたかられてもいい。
虫に食われてもいい。
土に還るなら、それでいい。
「うわ、虫に食われてる」
などと誰かに言われても、
「死んでますからね」
と答えることもできない。
そもそも答えられない。
そこまで考えると、かえって気が楽になる。
ただし、孤独死して長期間放置されるのは困る。
腐乱してから発見されるのも困る。
そこだけは、ちゃんとしてほしい。
自然に還るのは構わない。
しかし、人様に多大な迷惑をかけながら還るのは、できれば避けたい。
死んでまで近所迷惑にはなりたくない。
そこだけは生前から気をつけておきたいと思う。
それにしても、人間というのは面白い。
生きている時は「人間様」みたいな顔をしているのに、死んで時間が経てば、虫の餌になり、最後には屑になる。
そう考えると、「人間の価値」なんて、ずいぶん不安定なものだ。
まあ、私の場合は生きているうちから大した価値があるわけでもない。
だから、
「死んだら自然に還りたい」
などと殊勝なことを言っている場合でもない。
どうせなら、
「死んだら私も人間の屑になりたい」
くらいでちょうどいい。
人間の屑。
いいじゃないか。
最後にはみんな屑になるのだから。
……え?
「死ぬ前に、もうなってる?」
なるほど。
それは盲点だった。
では、訂正しよう。
死んだら人間の屑になりたい。
生きている間は――
まあ、すでに予行演習中ということで。





