特殊清掃「愕然!」を更新いたしました。
愕然!
25年前に書いたブログを、久しぶりに読み返してみた。
いやぁ……若い。
文章も若いが、何より「俺はこう思う!」という勢いが若い(笑)。
もちろん、当時の自分が感じたことは嘘ではない。
あのときは、あのときで、本当にそう感じていた。
ただ、25年も経つと、人間というのは多少なりとも丸くなる。
……いや、性格が丸くなったという意味ではない。
仕事柄、相変わらず普通の人なら避けたいような現場にも行っているので、別の意味ではかなり図太くなった、ということである(笑)。
今回は、そんな25年前の文章を、今の自分なりに書き直してみたいと思う。
テーマは、
「まさか、あの人が……」
である。
ある日、とある不動産管理会社から、特殊清掃の見積依頼が入った。
現場は、一般的には「高級住宅街」と呼ばれている地域。
マンションもそれなりに築年数は経っているものの、立地は良く、建物にも高級感がある。
エントランスなんかも妙に立派で、
「ここ、買ったら高いんだろうなぁ……」
などと、庶民丸出しの感想を抱きながら現場へ向かった。
内容は、中年男性の自殺。
借金苦だったらしい。
部屋の中に散乱していたクレジット会社や消費者金融からの請求書を見れば、詳しい事情を聞かなくても、ある程度のことは察することができた。
もちろん、仕事なので余計な詮索はしない。
亡くなった人には、亡くなった人の事情がある。
こちらはその事情を裁くために来たわけではない。
現場を整理し、必要な処置を行い、依頼者が次の段階へ進めるようにする。
それが仕事である。
管理会社の担当者と一緒に現場へ入り、いつものように部屋を確認する。
担当者は玄関の外で待機。
まぁ、そうなるよね(笑)。
誰だって好き好んで特殊清掃の現場に入りたいわけではない。
こちらは仕事だから入る。
そして、仕事だから入れる。
そういうことである。
部屋の中は、汚染箇所と臭気を除けば、特別変わった雰囲気でもなかった。
多少散らかっている程度。
この仕事をしていると、現場に特有のものがある。
最初の頃はいちいち驚いていたが、長年やっていると、ある意味では「現場の風景」の一部になってしまう。
慣れというのは恐ろしい(笑)。
しかし、この日の私は、それとは別の意味で大きな衝撃を受けることになる。
特殊清掃の見積というのは、単純に「汚れているから○万円」というものではない。
部屋の広さ、汚染範囲、床材、壁材、家具、臭気の状況、搬出物、作業工程……。
いろいろな角度から現場を見なければならない。
見積を間違えれば、当然ながら赤字になる。
だから私は、かなり細かく現場を見る。
「この程度なら大丈夫だろう」
と適当に見積を出して、あとから、
「ここは追加料金です」
「これは別料金です」
「思ったより大変だったので追加です」
などと言うやり方は、私は好きではない。
うちの会社は基本的に一発見積。
最初に提示した金額で仕事をする。
作業中や作業後になって追加料金をお願いするようなことはしない。
現場業務もクリーン。
会計もクリーン。
「特殊清掃業者なのに、金銭面だけは普通の会社より綺麗ですね」
というのが理想である(笑)。
そんなことを考えながら、部屋の中をあちこち確認していた。
そして、何気なく見た本棚に、ある固有名詞の入った書類が目に留まった。
「ん?」
一瞬、目が止まった。
そこに書かれていた名前は、一般の人には何の意味もないものだった。
しかし、ごく一部の、ごく特定の人間には意味がある。
そして――
その「ごく一部の人間」の中に、私も入っていた。
「なんで、○○の資料がここにあるんだ?」
嫌な予感がした。
「まさか……」
そう思いながら、もう一度部屋を見渡した。
そして、写真立てが目に入った。
写真が何枚か飾られている。
最初は何気なく見た。
ところが、写っている人物を見た瞬間、
「…………え?」
となった。
写真を見る。
顔を見る。
もう一度見る。
別の写真を見る。
また見る。
「いや、違うだろ」
「人違いだろ」
「似ているだけだろ」
頭の中で、そんな言葉がぐるぐる回った。
しかし、名前を確認できるものを探してみると、ほどなくして氏名が判明した。
そして――
力が抜けた。
残念ながら、やはりその人だった。
心臓がバクバクした。
鼓動が妙に速くなる。
呼吸まで苦しく感じる。
さっきまで「見積をどう組もうか」と仕事のことを考えていた頭の中が、一瞬にして別の世界へ飛んでしまった。
故人とは、親友だったわけではない。
二人で遊びに行くような間柄でもない。
あることを通じて知り合い、何人かで飲食したり、話をしたりしたことが何度かある。
それだけと言えば、それだけの関係だった。
しかし、知っている人である。
顔を知っている。
声を知っている。
話し方を知っている。
その人が当時、どんなことを話していたかも覚えている。
人間というのは不思議なもので、何年も会っていなかった人でも、「亡くなった」と分かった瞬間に、記憶の引き出しが勝手に開く。
「あのとき、こんなこと言ってたな」
「あの店で一緒になったな」
「あんなことを自慢していたな」
次から次へと思い出した。
当時の彼は、かなり羽振りがよさそうだった。
高級外車に乗っていた。
高級住宅街に住んでいることも自慢していた。
自分の能力にも自信があり、自分の生き方にも自信があった。
とにかく「俺は成功している」という雰囲気の人だった。
自慢話も多かった。
正直に言えば、私はあまり好きなタイプではなかった。
年齢差もかなりあったので、軽く扱われることもあった。
だから、付き合いが切れたあと、特別に寂しいと思ったわけでもない。
しかし一方で、
「自分もいつか、こういうふうになりたいな」
と思っていた。
高級車に乗り、高級住宅街に住み、経済的にも社会的にも余裕がある。
少なくとも当時の私には、それが「成功した人生」の一つの形に見えていた。
ところが、その人が亡くなった。
そして、その後の現場に、私は立っている。
その瞬間、自分の中にあった「成功」というものに対する価値観が、少し揺らいだ。
あれほど自信満々だった人が、金銭的な問題を抱え、人生の最後を迎えてしまった。
これは、かなりショックだった。
それまで自分が持っていた価値観の一つが、ガラガラと崩れたような気がした。
「お金があれば幸せ」
「社会的に成功していれば大丈夫」
「いいところに住んでいれば、それなりに人生は順調」
もちろん、そんな単純な話ではないことくらい頭では分かっている。
でも、人間というのは案外単純なところがある。
見えるものを見て判断する。
高級車。
立派な家。
肩書き。
収入。
そういうものを見て、
「この人は成功している」
と勝手に思う。
そして、25年前の私は、その典型だった。
だからこそ、目の前の現実が余計に重かった。
「人生って、分からないな……」
本当にそう思った。
よりによって、その「分からなさ」の答え合わせを、特殊清掃の現場ですることになるとは思わなかった。
できれば、そんな授業は受けたくなかった。
単位もいらない。
追試も受けたくない。
さっさと帰りたかった。
「この仕事、やりたくない……」
本気でそう思った。
もちろん、管理会社には、故人が知人だったことは言わなかった。
言えなかった。
そのときは誰にも話したくなかった。
「知人が亡くなっていたんです」
なんて言ったところで、何がどうなるわけでもない。
むしろ、言葉にした瞬間に現実が確定してしまうような気がした。
だから黙っていた。
しかし、心の中ではものすごいことになっていた。
同情心というのとも違う。
悲壮感とも違う。
喪失感とも少し違う。
なんとも説明しにくい、重たいものが上からのしかかってきた。
「自分が羨ましいと思っていた人が、金銭的な問題を抱えて亡くなった」
この事実を、どう受け止めればいいのか分からなかった。
羨望と嫌悪。
驚きと恐怖。
過去の記憶と目の前の現実。
いろいろな感情が一つの鍋に放り込まれて、かき混ぜられているような状態だった。
しかも、その鍋を自分で火にかけているわけではない。
勝手にグツグツ煮えている。
しばらく私は、完全に消化不良だった。
結局、その現場の特殊清掃の依頼は正式に入った。
本当は行きたくなかった。
できることなら、誰か別の人にお願いしたかった。
でも、仕事は仕事である。
依頼者がいる。
遺族や関係者がいる。
こちらがお金をいただいて仕事を引き受けた以上、プロとしてやるしかない。
それに、もう一つ、自分自身に対する戒めのようなものもあった。
「こういう現実から目を逸らして、逃げてはいけない」
そう思った。
仕事を通じて依頼者をサポートするのが自分の責任なのに、当の本人が逃げてしまったら、何のための仕事なのか分からない。
依頼者である遺族や関係者は、逃げたくても逃げられない。
だから、少なくとも自分は仕事として向き合おうと思った。
現場では、とにかく無心で作業した。
たぶん、いつもより無意識に急いでいたと思う。
写真もなるべく見ない。
名前が書いてあるものも、できるだけ見ない。
いつもの私は、かなり無神経に見えるくらいの態度で作業する。
それくらいでないと、この仕事は続かない。
毎回、
「気の毒だ」
「かわいそうだ」
などと感情移入していたら、こちらの精神が先に参ってしまう。
だから、ある程度は割り切る必要がある。
ところが、知っている人となると、その割り切りが効かない。
「故人が知人になるだけで、ここまで気が重くなるのか」
これは自分でも意外だった。
作業そのものはできる。
なのに、「この人、知ってる……」という一点だけで、精神的な負荷が何倍にもなった。
人間の心というのは、なかなか厄介である。
でも、今振り返ると、この経験は自分にとって無駄ではなかったと思う。
故人には申し訳ないが、少しだけ遺族側の気持ちを体感できた。
特殊清掃をする側からすれば、現場は「作業対象」である。
しかし、遺族にとっては、そこに残されている一つ一つの物が「その人の人生の一部」なのである。
写真。
衣類。
手紙。
本。
家具。
請求書。
どうでもよさそうに見えるものでも、遺族にとっては意味がある場合がある。
そのことを、頭ではなく、少しだけ自分の身体で理解できた。
そしてもう一つ。
自分は「現場には強い」と思っていたが、「知人の死には弱い」ということも分かった。
まぁ、人間なんてそんなものである。
強いところもあれば、弱いところもある。
何でも平気なスーパーマンではない。
そもそも、そんな人間だったら特殊清掃業界に入る前に、別のところで人生を間違えている気もする(笑)。
そして、もう一つ強烈に残ったのが、
「人生の先のことなんて、本当に分からない」
ということだった。
あれだけ自分の人生に自信を持っていた人。
自分の生き様を自慢していた人。
私から見れば、「成功者」に見えた人。
その人が、最後には金銭的な問題を抱えて亡くなった。
もちろん、だからといって、
「お金なんて必要ない」
と言いたいわけではない。
そんな綺麗ごとは言えない。
お金は大事だ。
生活するには必要だし、家賃も払わなければならない。
腹が減れば食べ物が必要だし、生活するにはいろいろとお金がかかる。
だから、
「金なんかなくても幸せ!」
なんて簡単には言えない。
実際、お金がないと面倒なことは山ほどある。
ただ、
「お金がある=人生は安泰」でもない。
これもまた、間違いない。
自殺を考えている人の気持ちを、私は完全には理解できない。
そこまで追い詰められた人に、
「頑張れ!」
「生きていればいいことがある!」
などと簡単に言うつもりもない。
そんなことを言われたところで、
「その“いいこと”が来るまで、こっちはどうすればいいんだよ」
と思うかもしれない。
だから、偉そうなことは言えない。
ただ、あの現場を経験した後の私は、こんなふうに考えるようになった。
もし今、人生が雨なら、とりあえず雨宿りすればいい。
暴風雨なら、避難すればいい。
逃げてもいい。
格好悪くてもいい。
「根性なし」と言われてもいい。
「弱虫」と言われてもいい。
「負け犬」と言われてもいい。
そんなことを言う人は、こちらが風雨に打たれている間、傘を持って立ってくれるわけではない。
結局、風邪をひくのは自分なのである。
だったら、逃げたっていい。
いったん休んだっていい。
何かを捨てたっていい。
プライドを捨ててもいい。
世間体を捨ててもいい。
一度負けてもいい。
人生は、案外何が起きるか分からない。
25年前の私は、
「もう少し辛抱していれば、どこかから陽が照ってくるかもしれない」
と書いていた。
今でも、それはそう思う。
ただし、25年経った今なら、もう少し付け加えたい。
陽が照ってくるまで、ただ我慢して耐え続ける必要はない。
雨が降っているなら、傘を差せばいい。
傘がなければ、屋根のあるところへ逃げればいい。
その屋根を借りてもいい。
誰かに助けてもらってもいい。
恥ずかしがる必要もない。
人生というのは、意外と「正面突破」だけが攻略法ではない。
横道にそれてもいい。
一回戻ってもいい。
立ち止まってもいい。
昼寝してもいい。
そして、どうしても無理なら、
「今日はもう知らん!」
とふて寝してもいい。
翌朝になっても問題が解決していないかもしれない。
でも、少なくとも朝にはなっている。
それだけでも、案外大きい。
もちろん、こんなことを書いている私自身だって、毎日立派に生きているわけではない。
落ち込むこともある。
嫌になることもある。
「もう全部どうでもいいわ」と思う日もある。
人生の天気予報は、こちらの都合など一切考えてくれない。
昨日は晴れだったのに今日は雨。
朝は晴れていたのに、午後から雷雨。
「降水確率10%じゃなかったのかよ!」
と空に文句を言いたくなる日もある。
そして、人生の天気予報には、たぶん「明日の予報」がない。
だからこそ、分からない。
あの人も、自分がそんな最期を迎えるとは思っていなかっただろう。
私だって、25年前には、まさかその人の死後の部屋を自分が片付けることになるなんて想像もしていなかった。
人生なんて、本当に何が起きるか分からない。
だから、未来を全部決めようとしなくてもいいのだと思う。
今日を何とか終える。
明日になったら、明日を何とかする。
そのくらいでもいい。
生きることに、そんなに立派な理由を付けなくてもいい。
夢がなくてもいい。
目標がなくてもいい。
今日は何となく生きた。
飯を食った。
風呂に入った。
くだらないテレビを見た。
コンビニで甘いものを買った。
そんな一日でもいい。
「何のために生きているんだろう」
なんて、毎日考えなくてもいい。
とりあえず空気を吸って、何かを食べて、寝る。
それでいい日もある。
雨の日に、
「なぜ今日は晴れていないんだ!」
と空に怒っても仕方がない。
濡れたくなければ、屋根の下に入ればいい。
そして、雨が上がったら、また出ればいい。
あの現場を経験してから、25年。
今でも、あの部屋のことを時々思い出す。
高級住宅街。
高級感のあるマンション。
高級外車。
自信満々だった知人。
そして、その人の最期。
人生において、「こうなれば安心」というものは、案外少ない。
お金があっても安心ではない。
地位があっても安心ではない。
健康でも安心ではない。
人間関係が良くても安心ではない。
逆に言えば、
今、お金がない。
仕事がうまくいかない。
人間関係で失敗した。
世間から見れば負けている。
そんな状態だからといって、
「もう人生終わり」
とも限らない。
人間、案外しぶとい。
私もそうだった。
これまで何度も、
「もうダメだ」
と思ったことがある。
しかし、なぜか今日まで生きている。
そして、今こうして25年前の文章を読み返しながら、
「若い頃の俺、ずいぶん偉そうなこと書いてるなぁ」
と苦笑している。
それだけでも、生きてきた意味はあったのかもしれない。
人生は、晴れの日ばかりではない。
雨も降る。
風も吹く。
台風も来る。
時には、傘なんかではどうにもならない暴風雨もある。
そんなときは、無理に外に立っていなくてもいい。
逃げればいい。
休めばいい。
誰かに頼ればいい。
格好悪くてもいい。
惨めでもいい。
プライドが傷ついてもいい。
生きていれば、後から笑えることもある。
25年前の私は、そんなことを「人生訓」のように書いていた。
25年後の今は、もう少し肩の力を抜いて言いたい。
人生、そんなに上手くやらなくてもいいんじゃないか。
晴れたら外に出ればいい。
雨なら雨宿りすればいい。
ずぶ濡れになったら、着替えればいい。
風邪をひいたら寝ればいい。
そして、また天気が変わるのを待てばいい。
天気は、自分では変えられない。
でも、雨宿りする場所くらいは、自分で探せることがある。
それで十分なのだと思う。
今日が晴れでも、明日は雨かもしれない。
今日が雨でも、明日は晴れるかもしれない。
だから私は、これからも、目まぐるしく変わっていく自分の「心の天気」に逆らい過ぎずに生きていこうと思う。
快晴の日には、ちょっと調子に乗る。
曇りの日には、まあまあで過ごす。
雨の日には、濡れないところを探す。
台風の日には、さっさと避難する。
そして、どうしても何もしたくない日は――
まあ、何もしない。
人生なんて、そのくらいでいいのかもしれない。
少なくとも私は、そうやって今日まで生きてきた。
そして、これからもたぶん、
「まあ、明日もあるか」
くらいの気持ちで生きていくのだと思う。
25年前のあの日、あの部屋で感じた衝撃は、今でも消えてはいない。
ただ、25年という時間が、その衝撃の意味を少しずつ変えてくれた。
あの人の人生を、私が評価することはできない。
亡くなった理由について、外野の私が簡単に善悪を語ることもできない。
ただ一つ言えるとすれば――
人間の人生は、最後の一場面だけを見て判断できるほど単純なものではない。
そして、自分の人生もまた、今見えている一場面だけで「終わり」と決めつけるには、少し早いのかもしれない。
……なんて書きながら、今日も私は仕事に行く。
たぶん明日も、何かしら面倒なことが起こる。
それでも、とりあえず飯を食って、寝て、また起きる。
人生の天気予報は当たらない。
だからこそ、
次に晴れるかどうかくらいは、見届けてからでも遅くない。





