特殊清掃「きのこ狩り」を更新いたしました。
きのこ狩り
特殊清掃の現場で起きた、ゴミ屋敷の思いがけない珍事件
秋がやってきた。
食欲の秋、行楽の秋、読書の秋、勉強の秋。
人によって、いろんな秋があるだろう。
私にとっては、やっぱり「食欲の秋」かな。
……いや、食欲については一年中か。
意地汚い私は、年がら年中、食い物のことばかり考えている。
若い頃は、いくら飲み食いしても体重に響かなかった。それが歳を重ねるにつれて、少し食べただけでも体重が増えるようになった。
身体の基礎代謝が落ちているかららしい。
若い頃は、食べた分だけ動けば何とかなった。ところが今は、食べた分を消費する前に、次の食事の時間がやってくる。
これでは太るのも当然か。
んー、悩ましい。
とはいえ、食欲があるのは悪いことばかりでもない。食べ物がおいしく感じられて、食べたいものを食べられる。それだけでも、ありがたいことなのだろう。
まあ、そんな殊勝なことを考えるのは、食べ過ぎた後くらいなのだが。
ある日、老朽アパートの特殊清掃の依頼が入った。
現場は木造のワンルーム。かなり古いアパートだった。
長い間、掃除も片付けもされていなかったらしく、室内は家財道具や生活用品、そして大量のゴミで埋め尽くされていた。
しかも、この部屋の主は、病院で亡くなって間もないという。
玄関から中に入り、目に飛び込んできた光景を見て、私は思わず溜息をついた。
「こりゃヒドイなぁ」
特殊清掃やゴミ屋敷の片付けをやっていると、多少のことでは驚かなくなる。
しかし、慣れることと、何も感じなくなることは違う。
ひどい現場を見れば、やっぱり「うわぁ」と思うし、厄介そうな現場に当たれば、それなりに気も重くなる。
仕事だからといって、何でも平気なわけではないのだ。
暗い室内には、家具や日用品が散乱し、その隙間を埋めるようにゴミが積み重なっていた。
この部屋で長期間生活していたことは想像できるが、普通に暮らしていたとは思えないほどの荒れようだった。
「この部屋で亡くなっていた」と言われても、まったく不思議ではない。
私は、依頼者である遺族から聞いていた「病院で亡くなった」という説明を、少し疑ってしまった。
もちろん、見た目だけで決めつけるわけにはいかない。
それでも、特殊清掃の現場では、油断は禁物だ。
ゴミの下に何が隠れているか分からない。見えているものだけが、現場のすべてとは限らないからだ。
私は警戒しながら室内に踏み込み、慎重に様子を確認した。
カビ臭いような、ゴミが長期間放置された独特の異臭はある。
しかし、死後の腐敗が進んだ現場で感じる、あの強烈な腐敗臭はしなかった。
「とりあえず、遺族の説明を信じるしかないか」
そう思いつつも、疑い深い私は考えていた。
「いや、腐敗痕がゴミの下に隠れている可能性はあるな……」
職業病というやつだろう。
何もないと分かっていても、何かあるかもしれないと考えてしまう。
用心深いのは悪いことではない。少なくとも、特殊清掃の仕事では。
依頼内容は明確だった。
室内にある家財道具、生活用品、ゴミを撤去すること。ハウスクリーニングや内装工事は不要とのことだった。
このアパートは、近いうちに取り壊される予定らしい。
つまり、部屋をきれいに再生する必要はなく、中身を空にすればいいという仕事だ。
作業当日、私は念のため、腐乱汚物が出てきた場合に備えた装備も用意して現場へ向かった。
依頼者は都合が悪く、立ち会いには来られなかった。
まずは、ゴミを袋に詰めたり、必要に応じて梱包したりしながら、大型の家財道具を搬出していく。
ゴミを動かすたびに、種類の違う悪臭が漂った。
「うーん、なかなかの臭いだな」
それでも、あの腐敗臭はない。
「この先、何か出てくるかもしれないぞ」
自分に言い聞かせながら、黙々と作業を続けた。
ゴミ屋敷の片付けは、ただゴミを袋に詰めれば終わりというものではない。
何がどこにあるか分からないため、ひとつずつ確認しながら進める必要がある。足元にも注意しなければならないし、重い家具を運び出すときには、搬出経路も考えなければならない。
見た目は単純な作業でも、意外と気を使う仕事なのだ。
そうしてゴミをだいぶ撤去したところで、床の方に布団らしきものが見えてきた。
最初は一部分しか見えなかったが、周囲のゴミを取り除くにつれて、少しずつ全体像が明らかになっていく。
そして私は、布団に付着したイヤな汚れを発見した。
「ん!? これは汚腐団か?」
汚腐団。
私が勝手にそう呼んでいる、腐敗したように汚れた布団のことだ。
特殊清掃の現場では、布団が思わぬ状態になっていることがある。人の体液などによる汚染が疑われる場合もあれば、長期間の放置によってカビや汚れがひどくなっている場合もある。
見た目だけで判断することはできない。
私は少し緊張しながら、布団の全体が見えるまで周囲のゴミを取り除いた。
やがて姿を現したのは、黒く変色し、見るからに傷んだ布団だった。
「うわっ、やっぱり汚腐団か……」
ところが、おかしい。
腐敗臭がしない。
ウジもハエもいない。
見た目は、腐乱死体が長期間寝ていた布団のようなのに、実際にはそうではなさそうだった。
「何だ、ただのゴミ布団か」
どうやら、長い間ゴミに埋もれているうちに、すっかり腐ったような状態になってしまったらしい。
この部屋が、相当長い間ゴミ屋敷状態だったことは間違いなさそうだ。
別に、腐敗痕を期待していたわけではない。
……いや、仕事柄、どこかで警戒していたのは確かだが。
何も出てこなかったことに、私は少し拍子抜けした。
そして、その汚腐団を丸めて袋に入れた。
ところが、布団を取り除いた後、私はもうひとつ驚くことになる。
下にあった畳まで、黒茶色に変色していたのだ。
しかも、腐った部分はフニャフニャ。
「これじゃ、床板も相当イッちゃってるな」
畳だけで済んでいるとは思えない。長期間、湿気や汚れがこもっていたのだろう。
とはいえ、ここは近々取り壊される予定のアパートだ。
「まあ、どうせ取り壊されるんだから、関係ないか」
幸い、畳の撤去は契約に含まれていなかった。
通常なら、汚染された畳をそのまま残すことは滅多にない。しかし、この現場では、そのままにしておくことが認められていた。
こうして、予定していた作業は無事に完了した。
ゴミだらけの部屋だったので、トラックが満載になることも覚悟していたのだが、実際に積み込んでみると、思ったほどの量ではなかった。
「余裕で終わったな」
「楽勝だったじゃないか」
我ながら、ずいぶん気楽なものである。
依頼者に電話を入れ、作業が終了したことを報告。都合のいいときに現場を確認してもらうよう伝えた。
腐敗痕があるかもしれないと警戒していたものの、結局はゴミの撤去だけで済んだ。
気分も軽くなり、私はトラックを走らせた。
このときは、数日後にとんでもない騒ぎが起こるなど、知る由もなかった。
数日後。
現場を確認した依頼者から、突然電話が入った。
私は、契約どおりに作業を終えていたので、「問題ありませんでした」「ありがとうございました」といった報告があるものと思っていた。
ところが、電話の向こうから聞こえてきたのは、まったく予想外の言葉だった。
「部屋に何かがいるんです!」
依頼者は興奮状態だった。
「何かがいる?」
私は一瞬、言葉の意味が分からなかった。
何かがいると言われても、心当たりがない。
作業を終えて退室したとき、部屋の中は確かに空っぽだったはずだ。
大型家具も生活用品もゴミも、契約に従って撤去した。
いったい何がいるというのだろう。
「野良犬か、野良猫が入り込んだのか?」
古い木造アパートなら、動物が入り込む可能性はある。
「それとも、虫の類か?」
特殊清掃の現場では、ウジやハエが後から発生することもある。しかし、依頼者の慌てぶりからすると、どうもその程度の話ではなさそうだった。
私は電話で、何が見えたのか、どんな形をしていたのか、動いていたのかなど、できる限り詳しく質問した。
しかし、依頼者は驚きのあまり、正体を確かめることもできずに玄関ドアを閉めてしまったらしい。
「怖くて中に入れないんです」
まあ、気持ちは分からなくもない。
何だか分からないものが、誰もいないはずの部屋にいたら、そりゃ怖いだろう。
無理に確認してもらうわけにもいかない。
仮に野良犬や野良猫だったとして、驚いた拍子に飛びかかってきでもしたら大変だ。
「うーん、何だろう……」
私にも、さっぱり見当がつかなかった。
ただ、怖がっている依頼者を放っておくわけにもいかない。
それに、正体が分からないとなると、こちらとしても気になる。
仕事上の責任感なのか、単なる好奇心なのか。
たぶん、両方だろう。
私は現場へ向かうことにした。
私が現場に到着したとき、依頼者はすでに退散していた。
まあ、あれだけ怖がっていたのだから、無理もない。
私は玄関の前に立ち、まずは室内の音に耳を澄ませた。
……静かだ。
何の音もしない。
次に、玄関ドアをノックしてみた。
コンコン。
当然ながら、返事はない。
そもそも、返事があったらあったで困るのだが。
私は片手に棒状の工具を持ち、気持ちを戦闘モードに切り替えた。
とはいえ、相手の正体は分からない。
犬猫ならまだしも、ヘビなどの爬虫類だったら、できれば遭遇したくない。
私は爬虫類が大の苦手なのだ。
仕事だから仕方がないとはいえ、苦手なものは苦手である。
そして、意を決して玄関ドアを開けた。
「ん!?」
床の上に、何かが見えた。
何もないはずの部屋に、確かに何かがいる。
私は反射的に玄関ドアを勢いよく閉めた。
……いた。
依頼者の言っていたことは、どうやら本当らしい。
私はドアの外でしばらく休憩することにした。
心臓を落ち着かせ、頭の中を整理する。
「犬猫ではなさそうだし……」
「爬虫類系にも見えたが……」
「亀か?」
いや、まさか。
しかし、あの形は何だったのだろう。
いくら考えても答えは出ない。
とはいえ、ここまで来て帰るわけにもいかない。
私はもう一度、意を決して玄関ドアを開けた。
畳の上に、こんもりとした何かがいる。
よく見ると、ウロコのような模様があるようにも見える。
やはり、爬虫類なのか。
亀にしては、ずいぶん妙な形だ。
私は恐る恐る近づいていった。
苦手な爬虫類だったらどうしよう。
そんなことを考えながら、謎の物体をじっくり観察した。
そして、ようやく正体が分かった。
「な~んだぁ」
それは、キノコだった。
何と、腐った畳の上にキノコが群生していたのだ。
大小さまざまな傘が重なり合い、それぞれがウロコのように見えていた。
その集まり全体が、ひとつの大きな生き物のような形になっていたのである。
遠目には爬虫類に見えたものが、近づいてみればキノコ。
何とも拍子抜けする結末だった。
私は一気に力が抜けた。
「何だよ、キノコか!」
いや、キノコだって、何もないはずの部屋に突然現れたら驚く。
ましてや、誰も住んでいない古いアパートの畳の上に、数日でこんなものが生えていたら、普通はびっくりするだろう。
依頼者がパニックになったのも、無理はない。
私はすぐに依頼者へ電話を入れ、正体がキノコだったことを伝えた。
しかし、驚きの余韻が残っている依頼者には、なかなか理解してもらえなかった。
「キノコですか?」
「そう、キノコです」
「本当に?」
「本当です」
何だか、こちらが冗談を言っているようなやり取りになってしまった。
それにしても、キノコの成長力はすごい。
ほんの数日前には、こんなものはなかったはずだ。
それが、短期間のうちに、誰が見ても驚くほどの群生になっていた。
もちろん、キノコそのものが何もないところから突然生まれるわけではない。腐った畳や床下などに菌糸が広がり、成長に適した条件がそろったことで、目に見えるキノコが現れたのだろう。
長い間、湿気や汚れがたまっていた古いアパート。
傷んだ畳。
人がいなくなり、掃除もされなくなった部屋。
キノコにとっては、意外と居心地のよい環境だったのかもしれない。
人間にとっては、できれば遠慮したい環境だが。
私は、現場に来たついでにキノコを片付けていくことにした。
キノコ自体は、取り除くのに大した労力は必要なかった。
私はひとつずつ片付けながら、余計なことを考えていた。
「このキノコ、食える種類かなぁ」
食欲の秋だからだろうか。
それとも、年がら年中、食べ物のことばかり考えているせいだろうか。
何を見ても食べられるかどうかを考えてしまう。
我ながら、困ったものである。
もちろん、見た目だけでキノコの種類を判断することはできない。ましてや、正体の分からないキノコを食べるわけにはいかない。
そこは分かっている。
分かってはいるのだが……。
「たくさん採れたら売れるかなぁ」
などと、くだらない冗談まで思いついた。
特殊清掃の現場でキノコ狩り。
しかも、収穫場所は腐った畳の上。
商品名は「ゴミ屋敷産きのこ」。
いや、売れるわけがない。
売れるどころか、そんなものを商品にしようと考えた時点で、保健所どころか誰からも相手にされないだろう。
私は、ひとりでそんなことを考えながら作業していた。
ところが、キノコを片付けている途中で、大事なことに気がついた。
「待てよ……」
「今、キノコを片付けても、また生えてくる可能性があるな」
いや、可能性どころではない。
畳そのものが腐っていて、湿気も残っている。
キノコが育つ原因を取り除いていないのだから、また生えてくることは十分に考えられる。
「っていうか、生えてくるに決まってるじゃないか!」
「だったら、今片付けても意味ないじゃん!」
私はキノコ狩りを中止した。
そもそも、畳の撤去も床の補修も、今回の契約には含まれていない。
取り壊し予定のアパートなのだから、私がここで根本的な対策をする必要もない。
キノコを取っても、また生える。
また取っても、また生える。
そんなことを繰り返していたら、特殊清掃ではなく、キノコの収穫業者になってしまう。
しかも、収穫したキノコは食べられない。
割に合わないにもほどがある。
私は現場を後にした。
それからしばらくの間、あのキノコのことが気になっていた。
あの勢いなら、さらに増えているかもしれない。
ひょっとしたら、畳一面がキノコで覆われているのではないか。
いや、もしかすると、床から壁へと勢力を拡大しているかもしれない。
考えれば考えるほど、くだらない想像が膨らんでいく。
しかし、仕事とは関係のない現場だ。
わざわざ様子を見に行く理由もない。
「気になるけど、まあいいか」
私は、好奇心を抑えることにした。
それにしても、キノコというのは不思議な生き物だ。
人間が住まなくなった部屋でも、ゴミが放置された部屋でも、条件さえ整えば成長する。
人間が「こんなところに住めるか!」と思うような場所でも、キノコにとっては成長できる場所なのだろう。
もちろん、何でもかんでもキノコが生えるわけではない。温度や湿度、栄養分など、さまざまな条件が関係する。
それでも、あの古いアパートの畳の上で、短期間にあれだけの姿を見せたのだから驚く。
私たち人間は、何かと理由をつけては動けなくなる。
暑いから疲れた。
寒いから動きたくない。
歳だから仕方がない。
忙しいから、また今度。
……はい、全部、私がよく使う言い訳である。
そんな人間の都合などお構いなしに、キノコは育つ。
もっとも、キノコだって、ただ生命力だけで成長しているわけではない。そこには、成長するための条件がある。
人間だって同じなのかもしれない。
休むときは休む。
食べるときは食べる。
動けるときには動く。
そんな当たり前のことを、もう少し大事にすればいいのだろう。
……と、少し真面目なことを考えてみた。
ただし、キノコから人生の教訓を学ぼうとしたわけではない。
あのときは、ただただ驚いただけだ。
そして、食べられるキノコだったらよかったのに、と思っただけである。
過ごしやすい季節になってきた。
暑さが和らぐと、身体も楽になる。
その一方で、気持ちまで緩んでくる。
何だかシャキッとしない。
仕事は仕事で、それなりに忙しい。身体も以前ほど無理が利かなくなった。
若い頃のように、勢いだけで何とかなるわけでもない。
そんなとき、ふと思い出すのが、あのゴミ屋敷のキノコである。
あんな古いアパートの、腐ってフニャフニャになった畳の上で、堂々と群生していたキノコ。
見つけたときは、正体が分からずにビビらされた。
正体が分かれば、何ということはない。
ただのキノコだった。
ただし、食べられるかどうかは別の話だ。
私にとってキノコは、特別にうまいともマズいとも思わない、まあ普通の食べ物である。
それでも、秋になると、キノコ料理が食卓に並ぶことがある。
焼いてよし、煮てよし、鍋に入れてよし。
種類によって味も食感も違うし、料理の仕方によっても印象が変わる。
そう考えると、キノコもなかなか侮れない。
今度、スーパーでキノコでも買ってこようか。
もちろん、腐った畳に生えていたものではなく、ちゃんと食用として販売されているものを。
あの現場のキノコは、見た目だけで種類を判断できなかったし、食用かどうかも分からない。
食欲の秋だからといって、何でも口に入れていいわけではないのだ。
そこは、さすがの私も分かっている。
……たぶん。
それにしても、特殊清掃の仕事をしていると、本当にいろんなことが起こる。
ゴミ屋敷の片付けをしていたはずが、汚腐団が出てきて、最後にはキノコ狩り。
しかも、キノコの正体を確かめるために、わざわざ現場へ呼び戻されるとは思わなかった。
まったく、何が起こるか分からないものだ。
人生も仕事も、予定どおりにいかないことがある。
そんなときは、あまり深刻になりすぎず、できる範囲で対処していけばいい。
……なんて、偉そうなことを言ってみたが、私の場合、まずは食べ過ぎを何とかした方がよさそうだ。
さて、今夜はキノコ料理でも食べて、少し元気を出そう。
キノコにあやかって、私の身体にも、もう少し成長する力が残っているといいのだが。
いや、待てよ。
これ以上成長したら困るのは、身長ではなく腹回りだった。
やっぱり、食欲の秋は悩ましい。





