特殊清掃「夏の終わりに」を更新いたしました。
夏の終わりに
毎年のことだが、夏は特掃業務がさらに過酷になる季節だ。
暑い。
とにかく暑い。
外が暑いのはまだいい。太陽という、あまりにも分かりやすい犯人がいるからだ。問題は現場の中である。
密閉された部屋、こもった熱気、腐敗臭、湿気、そして防護服。
こちらは全身をビニールだか何だかに包まれている。要するに、真夏に自分で自分を蒸し焼きにしているようなものだ。
作業を始める前は、
「今日も安全第一で頑張ろう」
などと殊勝なことを考えている。
ところが30分もすると、
「安全第一は分かったから、誰か冷房を第一にしてくれ」
という気持ちになってくる。
現場は凄惨を極める。
汗と脂にまみれながら作業をしていると、自分の汗がポタポタと落ちていく。その先にあるのは床だったり、腐敗液だったりする。
自分の汗なのか、現場の液体なのか、途中からどうでもよくなってくる。
もちろん、どうでもよくなってはいけないので、そこはきっちり処理する。
そんな状況で仕事をしていると、妙なことを考えるようになる。
神妙なことを考えてみたり、自分を励ましてみたり、くだらないことを考えてみたり。
やけに哲学的になって、
「人間とは何なのだろう」
などと考えた次の瞬間には、
「そもそも俺は何でこんなに汗をかいているんだ」
と、極めて現実的な問題に引き戻される。
人生について深く考えていたはずなのに、最終的には「水分補給しなきゃ」で終わる。
哲学も、熱中症には勝てない。
どうしようもなくなった時は、いったん外に出て小休止する。
防護具を外し、荒くなった呼吸を整える。
心臓がドクドク鳴っている。
脳ミソまで熱を持っているような感じがする。
しばらく外気を吸って、ぼんやり空を眺める。
そうすると、さっきまで自分がいた部屋が、まるで別世界のように感じられる。
「俺は今、何をやっているんだろうな」
なんて思う。
でも、少し休むと、
「さて、戻るか」
となる。
結局、そこに戻る。
仕事だからというのもある。
誰かがやらなければならない仕事だからというのもある。
そして何より、終わらせなければ帰れない。
実にシンプルだ。
そんな夏も、そろそろ終わろうとしている。
今年の夏も、いろいろあった。
いい思い出もたくさんできた。
ただ、あまりにもリアルタイムすぎて、今のところ紹介できないものも多い。
「それ、ブログに書けるの?」
と聞かれたら、
「いや、さすがに無理」
と答えるしかない。
世の中には、書いていいことと、心の中だけにしまっておいたほうがいいことがある。
長くこの仕事をしていると、そのあたりの線引きだけは、嫌でも上手くなる。
私は今までに、何体もの死体に会ってきた。
何件もの腐乱現場にも遭遇してきた。
病死、事故死、自殺、自然死……。
人間の最期には、実にいろいろな形がある。
そんな私でも、今まで一体しか扱ったことがない遺体がある。
「何?」
と思われるだろう。
他殺体である。
私が20代の頃だから、もうずいぶん前の話になる。
当時は大きなニュースになった事件だった。
ここでは詳しいことは書かない。
書いたところで、今さら誰かの役に立つとも思えないし、何より亡くなった方やご遺族に対して、私が勝手に話を広げるようなことではないと思っている。
ただ、故人は20代前半の学生だった。
楽しい夏休みを過ごしている最中に、突然、惨劇に巻き込まれた。
その人にとっては、いつもと変わらない夏の一日だったのかもしれない。
友達と遊んだり、学校のことを考えたり、くだらないことで笑ったり。
「新学期、面倒くさいなあ」
なんて思っていたかもしれない。
学生にとって、夏休みの終わりというのは、ある意味で人生最大級の憂鬱イベントだったりする。
「宿題やってねえ」
「明日から学校かよ」
そんなことを言いながら、なんとか日常へ戻っていく。
まさか、その夏休みが人生最後の夏になるとは知らずに。
そして、新学期を迎えることもなく、この世を去った。
遺体には大きな解剖痕があった。
遺族の要望で、生前には袖を通すことのなかった、お気に入りの服を着せた。
その作業をしている時のことは、今でもなんとなく覚えている。
遺族はその場に立ち会っていなかった。
当時はまだ若かった私にとって、それはある意味ではありがたかった。
もし目の前でご遺族が見ていたら、私は余計なことを考えてしまって、きちんと仕事ができなかったかもしれない。
「何か声を掛けなければ」
「何と言えばいいんだ?」
「頑張ってください、というのも違うだろう」
「お気の毒です、なんて言っていいのか?」
若かった私は、そんなことばかり考えていた。
結局、正解なんて分からなかった。
今でも分からない。
人の大切な人を失った時に、第三者が言える言葉なんて、案外少ないのだと思う。
「ご冥福を」だとか「お気持ちお察しします」だとか、決まり文句はいくらでもある。
でも、本当にその人の気持ちを察することなんて、できるのだろうか。
自分の大切な人を失ったことすらない人間が、他人の喪失を理解したような顔をするのも、どこか違う気がする。
だから私は、せめて自分の仕事だけはきちんとやろうと思った。
服を着せる。
身なりを整える。
できるだけ、その人がその人らしく見えるようにする。
それくらいしかできなかった。
いや、それくらいしかできないからこそ、それをやるしかなかった。
子供や若者には、ある意味で「無責任に生きられる特権」があると思う。
もちろん、本当に無責任でいいという意味ではない。
その代わりに、親だったり、家族だったり、周囲の大人だったり、誰かが責任を背負ってくれている。
だからこそ、若い時くらいは、少しくらい馬鹿なことをしてもいい。
寄り道してもいい。
失敗してもいい。
くだらないことで笑って、くだらないことで悩んで、時には「俺は絶対に世界を変える」などと根拠のない自信を持ってもいい。
翌日には、その世界を変える本人が寝坊している。
それでいい。
そういう、ちょっと無責任なくらいの自由が、若さなのだと思う。
人を悲しませない範囲で、その特権は思い切り使っていい。
そこに若年の輝きがある。
故人も、一人の若者として学生生活を謳歌していたのだろう。
楽しい夏休みを過ごしていたのだろう。
その夏が最後になることなど、知る由もない。
そして、突然いなくなった。
当時の私は、そのことを考えながら、
「人生って、いつ何が起こるか、本当に分からないものなんだな」
と痛感した。
そして、少し不思議なことに、犯人に対しても同情心が湧いた。
もちろん、何があったとしても、人の命を奪ったという事実が消えるわけではない。
その後の犯人の末路を見ても、とても「一件落着」などと簡単に言える事件ではなかった。
ただ、人間というのは、善悪二つに綺麗に切り分けられるほど単純ではないのだろう。
被害者にも人生があり、加害者にも人生がある。
その一言で何かが許されるわけではない。
むしろ、だからこそ怖い。
人間は、ちょっとしたことで人生の形が変わってしまう。
そんなことを考えた。
あれからずいぶん長い年月が経った。
私は相変わらず、死体と向き合う仕事をしている。
夏になると汗だくになり、腐敗現場で眉間にシワを寄せ、休憩中には空を見上げる。
そして、たまに思う。
「死ぬことは、いつか必ず来る。それは仕方がない」
でも、
「だからいつ死んでもいい」
とは、どうしても思えない。
やっぱり、できるだけ生きていたい。
美味いものも食いたい。
くだらないことで笑いたい。
腹が立つこともあるだろう。
失敗もする。
恥もかく。
できれば、死ぬ直前まで、
「しまった、あれやってなかった」
などと言っていたい。
それくらいでいい。
立派な人生でなくてもいい。
人様に迷惑ばかり掛けるのは困るが、多少は格好悪くてもいい。
完璧な人間なんていない。
いたとしても、たぶん一緒にいると疲れる。
私は、いつ何が起こるのか分からないのが人生なのだから、何が起こっても素直に受け入れられるだけの器量が欲しいと思う。
……まあ、今のところ、そんな器量は全然ない。
現場で予定外のことが起きれば普通に焦るし、暑ければ普通に文句を言う。
帰宅して靴下を脱いだ瞬間、
「生きて帰ってきた俺、偉い」
くらいは思う。
その程度の人間である。
それでもいいのだと思う。
苦しいこと、辛いこと、悲しいことには限りがある。
永遠には続かない。
一方で、気持ちいいこと、楽しいこと、嬉しいことも、永遠には続かない。
だからこそ、それらは夢幻なのだろう。
楽しい時間ほど、あっという間に過ぎていく。
夏休みだってそうだった。
子供の頃は、永遠に続くように思えた夏が、今ではあっという間に終わる。
気がつけば9月。
セミの声も少しずつ減っている。
暑さだけは、まだまだ元気だ。
「もう夏終わったんじゃないのかよ」
と言いたくなる。
季節というのは、こちらの都合など一切考えてくれない。
暑かろうが、寒かろうが、悲しかろうが、嬉しかろうが、時間は勝手に進んでいく。
そして、私たちはその流れの中で、笑ったり、怒ったり、働いたり、誰かを好きになったり、誰かを失ったりしながら生きていく。
9月の曇り空を見上げる。
夏の終わりの空は、どこか寂しい。
私はこれまで仕事を通して、先に逝ってしまった人たちをたくさん見てきた。
その中には、生きたくても生きられなかった人もいる。
突然、人生を奪われた人もいる。
長い人生を終えて静かに旅立った人もいる。
それぞれに事情があり、それぞれに人生があった。
私にできることは、もうほとんどない。
せいぜい、空を見上げて、
「まあ、こっちはもう少し頑張ってみますよ」
と心の中で言うくらいだ。
そして、明日になれば、また仕事に行く。
汗をかく。
暑いと文句を言う。
休憩して空を見る。
くだらないことを考える。
時々、人生について少しだけ真面目に考える。
そして、腹が減ったら何か食べる。
たぶん、それでいい。
立派なことを言うつもりはない。
人生について悟ったわけでもない。
死をたくさん見てきたからといって、生きることが特別に分かるわけでもない。
ただ、死んだ人たちを見てきたからこそ、生きているうちにしかできないことを、少しくらい大切にしてもいいんじゃないかと思う。
笑える時には笑えばいい。
遊べる時には遊べばいい。
好きなものを好きと言えばいい。
会いたい人には会っておいたほうがいい。
そして、くだらないことで笑えるうちは、思い切り笑っておけばいい。
どうせ人生は、こちらの予定表どおりには進んでくれない。
だから、せめて今日くらいは、今日をちゃんと生きてみる。
そんなことを考えながら、夏の終わりの曇り空を眺める。
先に逝った人たちに、静かに想いを馳せる。
そして最後に、心の中で一言だけ。
「そっちはどうですか。
こっちは相変わらず暑いですよ。」
そう呟いて、私はまた日常へ戻っていく。





