特殊清掃「ウ○コ男」を更新いたしました。
ウ○コ男
容易に想像してもらえると思うが、夏場の特殊清掃業務は過酷さを極める。
いや、「過酷」という言葉だけでは、ちょっと足りないかもしれない。
暑い。
臭い。
蒸れる。
そして、臭い。
大事なことなので二回言った。
しかも夏場は、特殊清掃の依頼件数そのものが一年を通しての山場になる。
理由は説明するまでもない。
気温と湿度が高くなる夏は、遺体の腐敗が進行するスピードも速いからだ。
一人暮らしの方が亡くなってから発見まで時間が経過してしまった現場などでは、その影響が顕著になる。
しかも厄介なのは、一件の現場だけで終わらないこと。
「今日はこの現場を終わらせれば帰れる」
と思っていたら、次の依頼が入り、その次の現場の段取りもしなければならない。
場合によっては、そんな現場を複数抱えることになる。
暑い中で、暑さとは別の意味でも汗をかく。
冬場は、気温も湿度も低い。
もちろん冬だから遺体が腐敗しないわけではないが、腐敗の進行がかなり遅くなるため、不幸中の幸いというべきか、ある程度まで進行する前に家族や関係者に発見されるケースも多い。
「無断欠勤が何日も続いている」
「ここ何日か電話に出ない」
「新聞が何日分もたまっている」
「いつも見かけるのに、最近姿を見ない」
そんな生活上の小さな異変が、発見につながることもある。
一方、夏場になると事情が変わる。
「なんだか異臭がする」
「部屋から変な臭いがする」
「ハエが異常に多い」
そんな近隣住民からの通報がきっかけになることが多い。
つまり、発見される頃には、周囲の人にも「何かある」と分かってしまうほどの状態になっている。
それだけでも、現場の過酷さはある程度想像してもらえると思う。
そして、そこからが私たちの仕事になる。
玄関や窓を開けて作業できる現場なら、まだいい。
外気が入るだけでも、精神的にはかなり違う。
ところが、依頼者によっては、
「できれば近隣に臭いが漏れないようにしてほしい」
「外から室内が見えないようにしてほしい」
と希望されることがある。
当然だと思う。
自分の家から、とんでもない臭いが漂っている。
近所の人から「あそこの家、何かあったんじゃない?」と噂される。
できることなら、近隣には知られたくない。
依頼者だって好きでそんな状況になっているわけではない。
だから、
「そんなこと言われても無理ですよ!」
などとは思わない。
むしろ、こちらの事情も分かった上で、申し訳なさそうにお願いしてくる人がほとんどだ。
「大変なのは分かっているんですが……」
そんなふうに言われると、こちらも断りにくい。
というより、断る理由がない。
近隣の人に余計な心配をかけたくないという気持ちは、よく分かる。
だから、できる限り要望には応える。
ただし。
その分、作業環境は一気に地獄になる。
玄関を閉める。
窓を閉める。
場合によっては雨戸まで閉める。
そして電気が止まっている。
昼間なのに、室内は真っ暗。
大きめの懐中電灯を部屋のあちこちに置き、頭にもライトを装着する。
その状態で作業をする。
外は真夏。
中は密閉。
しかも、そこには腐敗臭の原因となるものがある。
もう、何と言えばいいのか。
「サウナに腐乱死体がゲスト出演している」
とでも表現すればいいだろうか。
もちろん、サウナには行ったことがある。
腐乱死体と一緒に入ったこともある。
……いや、後者は特殊清掃員としての職業上の話なので、趣味ではない。
それくらい暑い。
一時間も連続して作業していたら、さすがに危ない。
こまめに外へ出て、水分を補給する。
深呼吸する。
頭を冷やす。
そして、また中へ戻る。
そのたびに防汚装備を脱いだり着たりする。
当然、作業効率は落ちる。
それでも無理はしない。
若い頃なら、
「もうちょっといけるだろう」
と考えていたかもしれない。
しかし、残念ながら年齢による体力の衰えは否定できない。
昔の自分なら余裕だったことが、今では「これは危ないな」と感じる。
だから、身体から出てくる警告には素直に従う。
私の場合、自分の死を妙に身近なものとして考える癖がついている。
ちょっと体調が悪くなっただけでも、
「ここで倒れて、そのまま逝ったらどうなるんだ?」
などと考えてしまう。
特殊清掃の現場で特殊清掃される側になったら、笑えない。
関係者だって、泣いていいのか笑っていいのか分からないだろう。
「まさか自分の現場になるとはね」
などと、葬儀で言われたら最悪だ。
だから、どんなに作業効率が落ちても、キツい無理はしない。
現場で死んだら、本当に洒落にならない。
仕事のために命を削るのは、ある意味で本末転倒だ。
長く仕事を続けるためにも、無理をしない。
それが今の私のやり方である。
汚染現場が風呂やトイレなどの水回り系なら、全身防護服を着ることが多い。
しかし、それ以外なら、マスクと手袋程度で済ませることもある。
真夏の密閉空間で全身防護服なんか着たら、作業を始める前にこちらが倒れてしまう。
防護服を着ていても腐敗臭は身体やユニフォームに付着する。
ましてや、防護服を着ない場合は言うまでもない。
これが臭い。
本当に臭い。
何より困るのは、自分で自分の臭いが分かることだ。
現場を出て、
「終わったー!」
と一息ついた瞬間、
「……まだ臭いな」
と気づく。
歩いていても臭う。
車に乗っても臭う。
自分が移動するたびに、腐敗臭まで一緒についてくる。
生きているのに、腐乱死体の臭いがする。
そんな人間は、世界広しと言えども、そう滅多にはいないだろう。
もしかしたら天然記念物級の希少種かもしれない。
「腐乱臭を放つ中年男性」
学名をつけるなら、何になるのだろう。
そんな状態なので、事情を知っている依頼者以外の他人には、できるだけ近づかないようにしている。
店に入れば、他のお客さんに不快な思いをさせてしまう。
だから飲料や食料は、あらかじめ買っておく。
コンビニに寄りたい。
しかし寄れない。
喉が渇く。
しかし自販機まで行くのも、ちょっとためらう。
特殊清掃員にとって、夏場は「人間社会から一時的に離脱する季節」でもある。
ところが、世の中には好奇心旺盛な人もいる。
「何やってるんですか?」
「ここで何かあったんですか?」
と、珍しそうな顔で近づいてくる。
こちらとしては余計なことを話すわけにはいかない。
依頼者との間には、当然、守秘義務がある。
だから、余計な説明はしない。
では、どうするか。
返事の代わりに、悪臭パンチ。
近づいてきた人の顔が、
「ん?」
から、
「……え?」
になり、
「うわっ!」
となる。
そして、スゴスゴと離れていく。
言葉は必要ない。
臭いがすべてを説明してくれる。
特殊清掃員にとって、悪臭はある意味で無言の名刺である。
ただし、一番手間がかかるのは子供だ。
近くに子供たちの姿を見つけると、
「こっちに来るな」
と、心の中で念じる。
子供は好奇心の塊だ。
大人なら、
「何か事情があるんだろう」
と察して距離を取るところを、子供は平気で近づいてくる。
少し変わった格好をしている私を見る。
そして、
「うわぁッ! 臭ぇー!」
と言う。
正直である。
あまりにも正直だ。
大人なら絶対に口に出さないことを、子供は平気で言う。
しかも一人ならまだいい。
「おい、あそこ行ってみろよ!」
などと友達を呼んでくる。
そして、近づいてくる。
臭いを嗅ぐ。
逃げる。
笑う。
また来る。
また逃げる。
何の遊びなのか知らないが、本人たちはものすごく楽しそうだ。
昔の自分にも、そういうところがあった。
子供というのは、無邪気な分だけストレートだ。
他人にどう思われるかなど、あまり考えていない。
面白そうなら寄ってくる。
怖そうなら逃げる。
臭ければ、
「臭ぇ!」
と言う。
実に分かりやすい。
最初のうちは、
「まあ、子供だからな」
と微笑ましく眺めている。
しかし、何度も何度もやられると、こちらにも少しずつ悪戯心が芽生えてくる。
そして、ある時から開き直る。
「おじさん、ウ○コがいっぱい付いてるんだぞ」
そう言って、追いかけるような仕草をする。
すると、
「うわああああ!」
と叫んで逃げていく。
こちらとしては、ちょっとした反撃である。
ところが、そこは子供。
怖がって逃げたくせに、しばらくすると戻ってくる。
そして、また逃げる。
そのうち、それ自体が遊びになる。
さらに戻ってくる。
今度は人数が増えている。
一人。
二人。
三人。
気がつけば、ちょっとした観客ができている。
私は現場の前で、悪臭を放ちながら子供たちに囲まれている。
何とも言えない光景だ。
まるで、ウジやハエが集まってくるようである。
……いや、もちろん子供たちをウジやハエと同列に扱うつもりはない。
ただ、特殊清掃員と子供たちの組み合わせとしては、かなりシュールだ。
そして、彼らが大きくなったとき、
「あの辺に昔、すげえ臭いオッサンがいたよな」
「いたいた!」
「ウ○コ男って呼んでたよな!」
などと話す日が来るのかもしれない。
そうなれば、私はこの地域のちょっとした伝説になる。
名前も知らない。
職業も知らない。
ただ、ものすごく臭かった。
それだけで記憶に残る男。
それが「ウ○コ男」である。
……できれば、もう少し別の形で記憶に残りたかった。
そんな子供たちを見ながら、私はふと思う。
子供には、子供の時にしかできない遊びがある。
大人になれば、世間体だの常識だの、相手の気持ちだの、仕事だの、責任だの、いろいろなことを考えるようになる。
それはそれで必要なことだ。
私だって、子供相手に本気で追いかけ回したりはしない。
……まあ、ちょっと追いかける真似をするくらいはするが。
でも、子供の頃くらいは、もっと馬鹿でいいと思う。
臭いものを「臭ぇ!」と言って笑ったっていい。
変なオッサンを見つけて友達と騒いだっていい。
もちろん、人を傷つけたり危険なことをしたりするのは別の話だが、それ以外なら、多少くだらないことをして笑っているくらいがちょうどいい。
私自身も、そういう子供だった。
そして、そんな私が今では特殊清掃員をやっている。
人生とは、なかなか分からないものだ。
子供の頃の自分に、
「お前、大人になったら腐乱死体の現場で仕事するぞ」
と言ったとしても、絶対に信じないだろう。
たぶん、
「何それ。ウケる」
くらいで終わる。
しかし、実際にそうなった。
人生は予定通りにはいかない。
そして、予定通りではないからこそ、妙なところで面白かったりもする。
子供たちが走り回っている。
笑っている。
私を見つけて、
「ウ○コ男だ!」
と騒いでいる。
……誰がウ○コ男だ。
いや、私だ。
否定できない。
そんな彼らを見ていると、昔の自分を少し思い出す。
そして、特別立派なことを願うわけではない。
「立派な大人になれ」
などと、偉そうなことを言える立場でもない。
ただ、できれば今のまま、くだらないことで笑える時間を長く持っていてほしい。
大人になったら、嫌でもいろいろな現実が待っている。
仕事で怒られる。
金のことで悩む。
人間関係で疲れる。
好きな人に振られる。
体力が落ちる。
健康診断の数字に怯える。
そして、気がついたら私のように、腐乱臭を身体にまとって歩いているかもしれない。
……それは避けたほうがいい。
できれば、もっと普通の人生を歩んでほしい。
いや、普通でなくてもいい。
自分で選んだ人生を、ちゃんと自分の足で歩いていければ、それで十分だと思う。
私のような人生を歩まないでほしい、という意味ではない。
私の人生が失敗だったとも思っていない。
ただ、人生にはいろいろな道があって、その中には本人が望んでいなかった方向へ進んでしまうこともある。
それでも、その道を歩いているうちに、思いがけない景色に出会うこともある。
私にとっては、それが特殊清掃という仕事だった。
臭い。
汚い。
暑い。
きつい。
時には怖い。
それでも、そこでしか見えないものもある。
人間が生きていた痕跡。
家族の思い。
孤独。
死。
そして、そんなものを全部ひっくるめた「人間」というもの。
仕事をしていると、いろいろ考えさせられる。
ただし、考えすぎると頭がおかしくなるので、たまには子供たちと一緒になって馬鹿なことをやる。
「ウ○コ付いてるぞ!」
と言って追いかける。
子供たちが逃げる。
笑う。
また戻ってくる。
そして私は、そんな彼らに向かって、
「来るな! 臭いぞ!」
と叫ぶ。
何とも平和な光景である。
現場では、人の死と向き合っている。
そのすぐそばでは、子供たちが「ウ○コ男」を見て笑っている。
人生というのは、案外そんなものなのかもしれない。
重いものとくだらないものが、同じ場所に普通に存在している。
だから私は、子供たちに何か立派なことを教えようとは思わない。
私自身、そんなに立派な人間ではないからだ。
ただ、彼らが大人になったとき、
「あの頃、近所にすげえ臭いオッサンがいたな」
と笑って思い出してくれれば、それでいい。
そして、そのとき彼らが今よりずっと幸せな場所にいてくれれば、それ以上望むことはない。
私は自分の身体に消臭剤を吹きかける。
シュッシュッ。
それでも臭い。
シュッシュッ。
やっぱり臭い。
……天然記念物、恐るべし。
今日も私は、腐敗臭をまとったまま現場を後にする。
生きているのに、死の臭いがする。
そんな妙な仕事をしながら、それでも私は生きている。
そして、私の後ろでは子供たちが笑っている。
「ウ○コ男ー!」
「うるせぇ!」
そう言いながら、こちらも少し笑っている。
たぶん、それくらいでいい。
人生なんて、案外そんなもんだ。





