ヒューマンケアの事例紹介Example
依頼者不在の案件・依頼者了承を得た案件のみ掲載をしています
内装工事 特殊清掃 遺品整理 消毒・消臭
特殊清掃撤去(自殺腐乱遺体)の事例㊷【東京都武蔵野市】
訪れたのは「住みたい街ランキング」で常に上位にある人気の街。
駅近で利便性の高い場所に建つ賃貸マンションの一室。
そこで暮らしていた20代前半の若者が自殺。
故人は大学生で、社会との繋がりはシッカリあった。
が、発見は遅れ、遺体は腐敗し、著しい汚染と異臭が発生していた。
故人が通っていたのは誰もが憧れる一流大学。
故人は、そこに現役で合格し、問題なく通学していた。
しかし、他人からは順風満帆に見える道でも、本人は満足していなかったよう。
本人の夢なのか医師である親の希望なのか、新たに医学部を受験するつもりで大学生活を送っていたよう。
そのため、部屋には受験勉強に必要な教材や書籍が山とあった。
故人には夢と希望があった。
住居は、学生が一人暮らしするには贅沢に思われるくらいのマンション。
親からの手厚いサポートによってアルバイトをする必要もなし。
そんな満たされた日々を送っていた故人が何故亡くなったのか・・・
凡庸な当方には想像すらできなかった。
実家は、関西の某県。
今回の件を受けて、そこから両親が上京。
当方・管理会社・両親、今後のことを打ち合わせるため三者で集まった。
主な内容は、部屋の現況、原状回復、以後の家賃補償などについて。
管理会社と当方は、両親にとって精神的にも経済的にも厳しい話をしなくてはならず、なかなか神経を使う場となった。
両親は、茫然自失の状態。
息子を失った悲しみをはじめ、多くの人に迷惑をかけてしまった罪悪感や息子を上手に教育できなかった後悔に苛まれているよう。
本来は双方の意見を交える場のはずが、言葉数も少なく、管理会社と当方の説明や要望を受け身で聞いているだけ。
もちろん、こちら側は、「遺族の足元を見て、その弱みにつけ込んで無茶な要求をする」なんてことをするはずはなかったが、話が一方的過ぎると そういうシチュエーションに陥りやすくなる。
管理会社と当方は、その辺のところに充分注意を払いながら話を進めていった。
汚染は重症ながら複雑さはなし。
特殊清掃は平準的な作業で足り、消臭消毒も同様。
ただ、内装改修工事については、建材・資材の仕様・企画の縛りが強く、スムーズに進行せず。
従前と同じ設備や同じ色柄の建材が絶版になっていたりすると、そこで一時停止。
その都度、管理会社と打ち合わせをし、ときには管理会社に折れてもらって工事を進めた。
一連の費用は両親が負担。
将来に渡っての家賃補償も管理会社との間で協議された。
とにもかくにも、当方が請け負った業務は無事に完了。
部屋が元通りになり、補償の協議もまとまり、表向きは「一件落着」。
管理会社も胸を撫で下ろしてくれたが、遺族のことを想うと手放しに喜べる仕事にはならなかった。
| 作業場所 | 賃貸マンション(1K) |
|---|---|
| 依頼内容 | 特殊清掃 消臭消毒 遺品整理 内装改修工事 |
| 作業時間 | 延べ4ヶ月 |
| 作業人数 | α名 |
| 作業料金 | 650,000円(税抜) |

自殺腐乱部屋の原状回復工事は、ヒューマンケアにお任せください!
武蔵野市周辺の対応地域
杉並区、練馬区、三鷹市、小金井市、西東京市
ヒューマンケアの事例紹介Example
内装工事 ゴミ屋敷清掃 消毒・消臭
「ゴミ部屋」「ごみ屋敷」事例まとめ編⑮
部屋に溜まったゴミの片づけを請け負った案件。
これまで、何度か紹介してきた通り、「ゴミ部屋」「ゴミ屋敷」というものは、一般の人が抱いているイメージより、はるかに多いと思う。
ゴミを溜める人は、社会において、それだけ普通に存在している証拠でもある。
しかし、「何故?」と思う人もいるだろう。
もともとの性格や嗜好によるところも大きいのだろうけど、幼少期から育まれた生活習慣や、生まれ育った生活環境が影響していることも少なくないと思う。
また、ゴミが片付けられなくなるキッカケは、大きな出来事にかぎったことではなく、日常のちょっとしたところに転がっていたりするもの。
つまるところ、「ゴミ部屋」「ゴミ屋敷」という事象は、多くの人が日常の当たり前の家事としてやっていることの、紙一重のところにあるものなのかもしれない。その他 生前整理 消毒・消臭
生前整理事例まとめ編㉙
昨今では「終活」とも言われるが、一件は生前整理の案件。
もう一件は、住人が亡くなったあと、しばらく放置された家屋の片づけをした案件。
昨今では、「断捨離」という言葉は一般化しているが、何も、それは物理的に、モノを“断ち”“”捨て“”離す“ことだけを指すものではない。
「モノに執着しない」ということの大切さを表す言葉でもある。
もちろん、持っているモノの中には、代々受け継ぐ価値のあるモノ、金銭的な価値が高いモノ、他の誰かが再使用できるモノ、社会が再利用できるモノもあるだろう。
しかし、結局のところ、命は有限で、人生には終わりがある。
どんなに愛着を持とうが、どんなに執着しようが、人は、すべてを手放して逝かなければならない。
そして、自分の身体はゴミ同然の灰骨となり、残されたモノのほとんどはゴミとなる。
そう考えると、断捨離の意味と大切さが、しみじみと理解できてくるような気がするのである。









