ヒューマンケアの事例紹介Example
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特殊清掃 遺品整理
自死部屋の遺品整理事例㊽ 【東京都墨田区】
依頼された仕事は遺品整理。
依頼者は中年の女性で、「遺族」とのこと。
現場は、賃貸マンション。
総戸数は多くない小規模マンション、間取りは1DK、単身者用の物件。
とにもかくにも、事前の現地調査と見積提出は必須のため、まずは現場で会う約束を交わした。
遺品の持ち主は女性の妹。
女性の外観年齢から推定した行年は50前後、死因は自死だった。
生きていれば「若い」とはならない中年ながら、寿命として考えると若い。
そんな妹の死を受けた女性は戸惑い悲嘆。
「一人では遺品整理になかなか手をつけることができない」とのことで、当方に助力を求めてきた。
女性には、特に探したいものがあった。
それは、ネックレス。
故人が社会人になった折に両親がプレゼントしたもの。
さして高価なものではなかったが、長年、故人はそれを大切にしていた。
そして、「両親が“形見として手元に置いておきたい”と言っている」とのことだった。
部屋に残されていた家財の量は多くはなく。
整理整頓はキチンとされており、「出来過ぎ」と言いたくなるくらい。
また、汚くなりやすい水廻をはじめ、部屋全体に渡って掃除も行き届いていた。
そこには、故人のきれい好きで几帳面な性格が表れていた。
そんな部屋でやる遺品整理は、そんなに難しいものにはならないはずだった。
目的のネックレスについては、女性も「妹が大切にしていたものだからすぐに見つかる」と思っていた。
が、なかなか見つからず。
代わりに、その他、写真や手紙など、故人が大切にしまっていたモノがたくさんでてきてきた。
女性はそれらを手に取り、懐かしみながら、ときに悲しげに、ときに嬉しげに故人を偲んだ。
そして、その中の一部を選別して持ち帰ることにした。
目的のネックレスは、程なくして見つかった。
見つけたのは当方で、女性はとても喜んでくれた。
それは、鏡台の引き出しに、他のアクセサリー類と一緒にしまわれていた。
見つからなかったのは、女性の単純な見落とし。
貴重品の収納用に、あえて目立たないよう造られたような引き出しで、女性が気づかなかったのも無理はなかった。
女性は、故人の実の姉であり、故人の勤務先に対しても身元保証人になっていた。
更に、部屋の賃貸借契約の連帯保証人にも。
法的には、この“連帯保証人”としての立場が、女性にとって重いものとなっていた。
道義的責任や社会的責任と違い、法的責任は免れたくてもそうはいかない。
単なる孤独死ではない「自死」という案件において、厳しい立場に立たされることは必至だった。
女性を待っているのは、“茨の道”。
ひょっとしたら、“修羅場”かもしれない。
しかし、連帯保証人になっている女性に逃げ道はなかった。
妹を失った悲しみ、自死させてしまったことの悔み、両親の傷み、事後の賠償・補償・・・
女性は、恐怖に近い不安と、激痛に近い心痛に押しつぶされそうになっているように見えた。
「法律」というものは、人を裁き 人を罰するためだけのものではなく、人を守り 人を助けるためのものでもある。
責務大きい連帯保証人であっても守られるべき権利はある。
当方は、連帯保証人と相続人の立場や権利義務の違い、他の裁判例や国のガイドラインを説明。
一方の女性は、それを熱心に聞き入り、それで、わずかながらも表情が明るくなった。
そして、当方は、少しばかりでも女性を力づけることができたように思え、ささやかな嬉しさを覚えたのだった。
作業場所 | 賃貸マンション |
---|---|
依頼内容 | 遺品整理 |
作業時間 | 3時間 |
作業人数 | 3名 |
作業料金 | ― |
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特殊清掃 遺品整理 消毒・消臭
孤独死した遺体が腐敗してしまった事例まとめ編㉚
住人が孤独死し、その遺体が重度に腐敗してしまった案件。
動物でも植物でも、命を失ったものが物理的に朽ち果てていくのは自然の理。
それは、ウジやハエ等の虫をはじめ、細菌やバクテリア等の微生物、つまり、“新たに生まれた命”による業。
その環境があれば、人間の肉体も、“彼ら”の手を借りて土に還ることができるのだが、わが国の葬法は火葬が主体であるから、現実には、難しいところがある。
ましてや、孤独死の後の腐乱となると、厳粛に火葬することすらままならないことが多い。
人が死ぬことも、その肉体が朽ちていくことも、自然の摂理であり、自然の現象なのだが、それを冷静に受け入れることができないのも、また人。
ただ、生まれること、生きること、死ぬこと、すべて“生命の営み”なのだから、現場の凄惨さばかりに心を奪われることなく、人の人生を大切に想うようにしていきたいものである。


